人生を危険に導く言葉

生きていく上で非常に重要な位置を占めているものの一つに言葉が有ります。
どのような言葉を使うかで人生が大きく変わります。
使っている言葉を聞けばその人がどのような考え方をしてどのような人生を歩むか
がわかるとも言われます。
そのように結構重要な言葉ですが、何気なく使っているのではないでしょうか。
今日は、ニュースから感じた普段使いそうな言葉で使うとちょっとやばいかも
って思う言葉についてお伝えしたいと思います。
この言葉は、裏には考え方も引きづっているところがありますから
根本的な部分のお話をできたらと思います。

<目次>
1.言葉の本質
2.良い人生と思えるために
3.まとめ

<内容>
1.言葉の本質
最近言葉について考えさせられることが多々あります。
僕はクリスチャンですから聖書を読みますが、ことばは神であったという一文が
ありますし、聖書では、神様が言葉で世の中を作ったという記述があります。
日本には、言霊というものがあり、言葉に意思が宿るというか言葉の力と
いうものを表現しています。
このようなことから、言葉には力があり、使い方によっては人生を
良くもできるし悪くもできるということが言えると思うのです。
また、自分と関係する人とのコミュニケーションとして使われることから
他の人の人生にも大きく影響を与えるものであることも理解できるのではないでしょうか。

先程も言霊というキーワードを上げましたが、言葉にどのような思いを載せるか
によって使う言葉は変わりますよね。
それによって自体が色々変わるものです。別の言い方してたら状況が変わっていただろう
と思われることもニュースを見ていると有りますよね。

つまり、言葉の使い方によって自分の人生も関わる人の人生も変わることが
予想されます。さて、ここまで考えると言葉を使うということにある程度の
責任が伴うような気がしてきませんか。

2.良い人生と思えるために
さて、ここまで辛抱強く読んでくださりありがとうございます。
タイトルの人生を危険に導く言葉とは、「この状況は〜のせいだ。」という言葉。
よく喧嘩とかでも使われるのではないでしょうか。また、経済的な困窮とか
そういった場合にもよく使われますよね。
こういった言葉の背景には、物事の責任を放棄しているという考え方があります。
つまりは、自分の人生を他の人に委ねている状況にほかならないんです。
この状況は、本当に危険ではないかなぁと思います。
自分も納得言ってないですし、そうであればどんどんストレスが溜まっていくでしょう。
となると体にも異常をきたしてきますよね。

良い人生と思えるためには自分が納得した人生を歩む必要があるのかな
と思うのですがどうでしょうか。
例えば、良い人生を上記のようなものだとすると起こってきた物事を他の人に委ねるのでは
なく、自分の責任として受け止めることだと思います。
そうすることによって自分の人生を自分で制御するという感覚が出てきますし、
その流れで「この状況は〜のせいだ」から脱却し、「この状況を打破するにはどうすればよいか」
という自分への問いかけ→行動になり、結果自分が嫌な状況から抜け出せる道に
つながると思うのです。

3.まとめ
ここで見てきたように言葉には力が有ります。この力はすぐに認識できないかも知れませんが
水が長い時間をかけて石を砕くように、後になってじわじわと効いてくる力だと思います。
もちろん、使い方によってはすぐに結果が出るかも知れません。
このことを理解して自分も自分以外の人も良い人生を送れるような言葉の選び方
言葉の使い方をしたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
あなたの人生が良くなるようにお祈りしております。

生き方が表れてくる言葉遣い〜「で」と「が」の使い方〜

僕は自分の人生を生きることを目的として生活していますが、そのことを心に留めて生活していると様々なことを考えさせられます。昔は、「えっ」と思ったことも今ではそうだよなと思うこともしばしばです。そこで今日は、そんな言葉の中から「で」と「が」の使い方について教えられたというか自分の気持が表れているなぁと感じたので、あなたと共に考えてみたいと思います。

「しばしば」と「ときどき」
「しばしば」と「ときどき」についてちょっと疑問に思ったことがあります。これは、会社のストレスチェックの時に使われていたように記憶していますが、その時調べてもらった感じでは、しばしばのほうが頻度が高く、ときどきの方が頻度が少ないらしいということでした。
しかし、今回改めて調べてみたら、さほど違いはなさそうです。もしかしたら、ストレスチェックのときの項目も僕の記憶違いかもしれません。

参考URL
「ちょくちょく」「しばしば」「たびたび」の違い

言葉に宿る思い


何気なく使っている言葉ですが、その言葉に知らず知らずのうちに思いが宿っているとよく感じます。今回考える「で」「が」は本当に何気なく使ってしまう言葉だなぁと思い、更には自分の思考傾向(つまり考え方の癖)が表れていると感じたのです。
今回、これに気付かされたのは、前にも書かせて頂いた住んでる地域の小さな祭りにおいて、子供の友人のおじいさんから指摘を頂いたときです。このことは、昔は妻もよく言っていたことでその当時はそんなものなのかと思っていたのです。
しかし、いろいろ人生を重ねて学びが深くなっていくうちに結構重要なことかもと思えるようになりました。
そのため、今回ご指摘頂いたときにも心から納得し、感謝の言葉が心から表れてきました。

どのような言葉、文なのか


「〜でいいです」
あなたはこのようなフレーズをよく使いませんか。どのような場面で使うかと言えば、以下のような場面でよく使いがちです。

相手:お茶とジュースどちらがいい?
自分:お茶でいいや。

実は、これってお邪魔しているときなどは特に相手に失礼に当たりますし、お茶自体にも失礼にあたります。言われてみて当然ですよね。本当の指摘していただいたことはとても感謝です。このように書いてみて改めて失礼だなぁと感じます。特に紙に書いてみると失礼さ加減が半端なく感じますね。

生き方、考え方が現れる言葉


これって実は深層心理というかその人の生き方というかそのようなものを表していると感じたのです。
上記の例で「お茶でいい」とは「お茶でもジュースでもどちらでもいいけどどちらかといえばお茶」的なニュアンスがありませんか。実際にそうだと思うんです。これって僕の生き方を結構表している感じです。個人的にこれじゃなければいけないというものがそんなにありません。だから選択を迫られた時にどちらでもよいという発想が出てくるんです。
対して「お茶がいい」という言葉については、「お茶とジュース飲むならお茶がいい」とはっきりと自分を表現しています。その時飲むべきものがはっきりしています。

人の人生において大事なこと


人生は、選択の連続であるということはこのブログでもお話させていただいていますし、他の方でもそのように言われていることが多いですし、あなたも実感としてあるのではないでしょうか。
その一つ一つの選択が人生を作り上げていっています。そのため、ある時点で間違った選択をしてもその後の選択次第では取り返しがつくように人生は構成されていると思うのです。そこに如何に気づくことができるかということが大事だと思うのです。
ここでお話したシチュエーションは本当に小さな出来事です。しかし、バタフライ効果という理論があるとおり、小さな出来事も後々大きくなることが考えられます。
自分の人生を生きるならだいぶ楽になります。自分なりに納得しながら生きれるからです。だからこそ、この小さな出来事についても自分の人生を生きることを反映させて言葉を使ったほうがよいのです。

まだまだ小さい頃からの言葉遣いの癖とか考え方の癖とかが多く有りますが、今回のことに限らず、意識して生きていきたいと思います。

あなたはどのように感じますか。

言葉の持つ力ーその使い方と結果の受取ー

あなたは自分が発した言葉にどのような影響が出るかを考えたことがあるでしょうか?実はそこには自己責任という隠れた責任が存在していることを知っている人はいるでしょうか?それとも当たり前すぎて考えたこともないでしょうか?今日は、言葉の持つ自己責任性について考えてみたいと思います。

  • 言葉というもの
  • 自分と他人との関係性
  • 言葉の持つ自己責任性

言葉というもの

言葉の歴史は古いですね。意思疎通を図るものとして発展してきたと考えられていると思います。人間としては生まれたときから備えられた能力の一つと考えられます。ただ、別の考えをすれば、言葉を発することを覚えると同時に何かを手放している可能性はあります。ここでは話の関係上触れませんが、人間の能力は計り知れないものと考えられます。このように古くからある言葉というものは、人間にとってとても身近に存在します。それこそ意識しなくれもそばにあるものと考えます。それ故に言葉の力を意識できない人もいると思うのです。しかし、言葉の力というものはかなり大きなものであり、自分に対しても他人に対しても影響を与えるものです。これを踏まえて他人との関係性について考えてみたいと思います。

自分と他人との関係

自分と他人との関係において重要になることの一つが言葉ではないでしょうか?コミュニケーションを図る上でも言葉というものは結構重要な部分を占めていると感じます。そしてこの言葉を使ったコミュニケーションは時にいろいろなところに影響を与え自分に帰ってくることがあるのです。それがすぐ帰ってくることもあれば時間を開けてから自分に返ってくることがあるので、それが何故に起こっているのかがわからないこともあるのです。これが言葉が影響を与えるという理由です。しかもその言葉がいいか悪いかと言うのではなくどのように他人に受け取られたかで返ってくる方法などが変わってくるから更に複雑になりわからなくなるのです。これって携帯電話の契約に似ていると思ったのは僕だけでしょうか。

このように考えると自分の発した言葉によって自分の回りの状況が作られてくるんだということが少し見えてくるのではないでしょうか?自分に起こったことに対して不平や不満などを感じているときにはこのことを頭に置いたほうがよいと思います。そして自分の中に沸き起こった感情と向き合い、どのような行動・発言をするかを熟考するのが懸命です。その後の状況が大きく変わってくるからです。あなたはどのような人生を贈りたいですか。自分がよいと思える人生に向かいたいのであれば、余計に発する言葉には語気なども含めて気をつけたほうがよいです。

言葉の持つ自己責任性

ここまで見てきたように言葉には力があります。だからこそ発する言葉を熟考する必要があるのです。自分の周りで起こっていることはもしかしたら自分が発した言葉や行動などが原因かもしれないと思えば、自分が発した言葉というものにそれなりの責任があるといえるのではないでしょうか。

そんなことを考え始めると喋ることが怖くなる人もいるでしょうが、そこは心配しなくてもよいのです。世の中で起こっている出来事はそれを受け取る人が成長するためのものと考えると自分が発した言葉をその人がどのように受け止めるかはその人次第でそこはその受け取った人の責任と言えるのです。

気をつけたいのは、自分が発した言葉で自分に何かしてもらったときです。このときは自分が発した言葉がその人にそのように受け止められたのだと受け止めなえればいけません。そして、自分の中できちんと一連の流れを受け止め今後の人生に活かすようにしなければせっかく成長のために発生した出来事でも無駄にしてしまう可能性があるのです。

成長するべきところで成長できなければその後に別の形で問題として現れ、製法の機会が与えられることは別の記事に書いたとおりです。このことから自分が発する言葉には自己責任性があると言えるのです。

まとめると、言葉を発することを臆してはいけません。積極的に良い人生に向かうことができるように言葉を選ぶことをしたほうがよいということです。と同時に受け取りの仕方も学ぶ必要があります。遠慮は不要です。積極的に受け取るべきです。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読みいただきありがとうございます。