あなたが感じること

返報性の法則というのをご存知でしょうか?これは、調べたらわかるのですが、人に何かしてもらったらお返ししなきゃねと思うことです。よくビジネスの世界でも出てくるのではないでしょうか?今日はそんなところから心の世界にもこの法則があるのではないかと思うので、それをお伝えしようと思います。

心の世界では良いことも悪いこともあまり関係がないと僕自身は思っています。なので、自分が感じた良いこと悪いことは、相手も同じように感じているんだろうなぁと常々思っていたのです。人はそれぞれ育ってきた環境が違いますから同じような感度ではないにしてもきっと気持ち的には同様の気持ちを感じているはずだと思うのです。

これを調べる方法は相手に聞いて見るしかないですが、なんとなく相手の言動でも感じることはできるのではないでしょうか?このことを感じたのは、結婚をした時に相手の態度とか言葉とかで自分がイラッとした時とか我慢していることがあるとか感じた時に「イア待てよ。相手も同じように感じているのでは?」と感じたところからこのように考えるようになり、今ではすっかり自分の思いとなっております。

このように考えるには相手がどう感じているかという想像力を働かせなければいけません。つまり、生きていくこと、心に主体をおいてみることというのは、想像力も必要になってくるということだと思います。これは、仕事をする上でも家庭の中でも必要なことだと思っています。

 

あなたはどのように感じますか?

自分の感情とのつきあい方

昨日は、ホワイトデーでしたね。あなたは、お返ししましたか?それともお返しをもらいました?僕はいつも頑張っていてくれる妻にお返しも含めて感謝の気持ちでパウンドケーキを送りました。

なぜ、パウンドケーキを送っているかといえば、数年前になるかと思いますが、妻が無性に食べたくなったんでしょうね。食べたいというので、それ以来パウンドケーキを送っていたのです。ですが、今年は少し違うのにしようと思っていたのですが、購入するタイミングを間違えてすごく混んでいてなかなか思うようなものが買えず、結局パウンドケーキになってしまったのです。

さて、なぜ感情とのつきあい方の話をするのにこんな話をするかといえば、このことで僕の心が怒りではないのですが、なんとなく悶々としてしまったので、そのことについて話をしようと思ったのです。

ちなみに、妻が悪いとかどうとかいう話ではなくって、自分の受け取り方で自分がこんなふうに感じてしまってその対処をこんな感じでしたよっていうことが言いたかったのです。ちょうど、そんな話もしていたし、いい機会だと思ったのです。

妻がそのパウンドケーキのことで、いろいろいうわけですが、まあそれはそれとしてそのことで僕のキモチがなんとなく下がったというか嫌な気持ちになったんです。そこで、その気持ちをノートに書いてみたのですが、一向に晴れません。なぜなら、心が自分に向いておらず、妻の言葉に向いていたからです。そうであれば、晴れるわけはないですね。だって自分の領域の中ですったもんだ言っているわけですから、基本的に自分が正しい立場でしか考えないからです。

妻が言っていることも確かに言葉遣いとかいろいろありますが、正しいことだと思うのです。そしてそれは悪いことでもなんでもなくてふつうのコト。結局僕は妻の気持ちに立ってプレゼントもできていなかったんだなぁと思い知らされたわけですが、なかなかそこにまで至らないんですね。厄介なことに。どのようにそこまでたどり着いたかといえば、家に帰る途中にビジネスの事を考えていたのですが、それと同じだと思ったのです。顧客は僕がどれだけ一生懸命働こうが結果が思ったとおりではないと評価はしてくれません。それと同じだと思い至ったのです。そして僕の考えが浅くてプレゼントに全力に思いを込めれていなかったのかもしれないと思ったのです。

でも、今日の結論はここではありません。実は、起こった事象に良いも悪いもない。すべて自分の受け取り方次第だと認識できたということがとてもよくて、でも気持ちが良い方向に向かなかった時に、どうしたかといえば自分の興味のあることを考えた時に心が良い方向に向いていったのです。そして、このように自分の自分と向き合えたのがなんとなく成長につながっているような気がして、お伝えしたかったのです。

何か自分の心に問題が出た時には、少し時間をとって自分と向き合ってみてもらえるとよいと思います。

あなたはどのように感じますか?

感情の根底にあるもの

昨日、シンプルと複雑の関係について話しました。今日はそれに基づいて感情というものを考察してみたいと思います。

感情はいろいろありますが、それが根底には2つの感情しかないと言ったら、びっくりするでしょうか?実は、僕は「感謝」と「恐れ」の2つが根底にあるのではないかと考えています。自分の場合について考えてみたのですが、怒りはどこからくるんだろうとずっと思っていました。僕は、結構怒りに振り回されるタイプでそのためなるべく怒りを表に出さないようにしているのですが、どうしても親しい人特に家族には出てしまうんですよね。で、その時にはわれを忘れてしまっていますから、後で内省して謝ることが多いのですが、ある時、自分の怒りを数学の因数分解のように紐解いてみたのです。状況を把握して、ゆうことを聞かなかったからだとか、なぜいうことを聞かないといかるのかとかずっと自問自答を繰り返し、打とり憑いたのは、恐れだったんです。多かれ少なかれ怒りとか不安、不満は、恐れから来ているような気がします。

対して、嬉しいとか楽しいとかは感謝が元にあるような気がします。実は悲しみの中にも感謝があるんじゃないかなぁと思っていました。

そして、そこから様々な感情が起きてきて、行動になり未来につながっていくのです。だから感情に流されてしまっては、せっかくの人生が自分の思うように行かなくなる可能性が高くなるというのが僕の考えなのです。

決して怒りとかが悪いわけではなくうまく付き合っていく必要があるということです。最近は心の重要性を感じているので、マインドフルネスや瞑想などの本も読んだりしているのですが、その中に自分の怒りと向き合うということが書かれていました。とっても有意義な時間が過ごせそうな気がしました。最近はあまり怒りらしい怒りを感じないので、怒りと向き合うということもあまりなくなりましたが、怒りのみならず、自分の感情と向き合う時間を取るということはすごく大事だなと感じさせられています。

あなたはどのように感じますか?

 

感情のコントロール

感情をコントロールすることは大事だと言われていますね。でも、なかなかできなかったりします。僕なんかは怒りとかは良くないと思っていました。でも人間ですから怒れるときはあっても致し方ないんですよね。そこに行き当たりました。

実は、怒っても良いんだということに気がついたのです。ただし、その怒りを感情に任せて撒き散らしてはいけないんだということです。そこからが人間どのように生きるかということがテーマになってくるのかなと感じています。

そこで、僕もやったことがありますし、本にも書いてありましたので、どうしたらいいのかをまとめてみたいと思います。以下に書くことは実際に僕がやったことです。

1.何があって怒れてきてしまったのか

僕には息子がいますが、その息子と喧嘩をしたんです。年代によって怒り方は違いますが、最近怒れてきたのは、息子に「えらそうに」と言われたことがきっかけだった気がします。常々、動き出しが遅いのですがその時は本当に遅かったんです。そして、相手の事情もわからないくせに怒ってしまいました。

2.その後何をしたか?

何日間かは息子も僕も話すらしませんでした。ずっとイライラしてましたし、僕という人間は怒ると話す気もなくなりますし、一度話さないというか話す必要がないと思うと話さないタイプの人間ですので、話さなかったわけです。

書いていても自分はなんて頑固なやつだと思います。

その間なんで自分はそんなに怒れてしまったのかを分析したのです。ノートにも書きました。今もいつも手元に持っていますので、いつでも読めますし、ああこんな時もあったなと振り返ることもあります。

そこには、喧嘩が起こった状況を事実のみ記載してあります。感情などは一切無しです。その後、その状況に対して自分の反応、特に心の反応を書いたのです。どの行動に対して自分は苛立ったのか。最終的にその状況になっていった過程を明確にできました。

ああ、そうだったんだな。では次からはこの最悪な状況になる前にもっと別のアプローチを取ろうと考えれるに至ったのです。

自分を振り返るって大事だと感じた瞬間でした。

3.その後

その息子とも今では普通に話せて一応なんとなくですが話はしてくれています。自分はまだまだ未熟なのでもっと精進しなければいけないと思うのですが、この喧嘩のあとはあまり喧嘩はしていないような気がします。

そこで、今日は僕からは自分を振り返ってみることをおすすめしたいと思います。別に喧嘩とか怒りとかに限らず、どんなときに嬉しいのか悲しいのか寂しくなるのかなど、自分を知っておくとなんとなく人生が楽になるような気がします。

あなたはどう感じますか?

 

答えは自分の中に

昔、答えは自分の中から出てくると聞いたことがあります。または、自分の中にあると。その時の僕にはよくわかりませんでした。だって、悩んでいるのは確かだし、それが自分の中にあるのだろうかと思ったものです。

年月が経ち、僕も大人になりおじさんの域に達した今となってようやくその意味が飲み込めた気がします。これは、僕のテーマでもある「自分の人生を生きる」に関連していたことだからです。実は、悩んでいたとしても答えは知っていたりするものです。それは頭の片隅のさらに奥にしまわれている場合が多くあります。それはそこに意識を集中しないと前に出てこない情報です。だから、子供だった頃の僕にはよくわからなかったのです。

今は、自分が今を生きるために「自分らしく生きるとはどういうことか」や「自分の人生を生きるとはどういうことか」を追求していくうちになんとなくわかってきました。

悩むということは自分がどういきたいのかどうしたいのかが不明確な場合が多いです。だから悩みますよね。でも、一旦こうしたいという思いがあり、その方向に心を向けると答えが出てくるんです。

どうです?自分の中に答えがある理由がなんとなくわかるでしょ。それとも当然と思えるでしょうか?僕はこのことがわかってからあまり悩むことがなくなりました。自分が自分らしく自分の人生を歩むためにはどうするかを考えたら、そして自分というものがどう生きたいのかを考えたら行動はある程度絞られるからです。

僕の中にも基準があり、周りと強調しながら自分の人生を歩もうとしていますから、どのように物事を進めたらよいかということで考えはします。しかし、方向としては決まっているので、悩むことがなくなったと感じます。

あなたも自分の人生を歩んでみてもらいたいと願っています。すると、今まで見ていたものが違って見えてくると思います。とても新鮮で楽しく感じられると思います。

すると、人生が上向きになってより良いことが起こってくると思うのです。

あなたはどう感じますか?

先延ばしって本当に問題があるかもー昔から言われることー

昔から「今日できること、今日やるべきことは今日やること」と言われていました。個人的に本当のところは理解できていなかったんです。大人になってその理由がわかるようになったので、ここでその理由を書いてみたいと思います。

実は、当たり前のことですから少し恥ずかしいのですが。

1.今日やることはどのように決まるのか

今日やることはどのように決まるのでしょうか?これは、自分が将来どうなりたいのかというところから決まってくるのです。長期目標、その長期目標を達成するための中期目標、中期目標を達成するための短期目標と目標が決まってきます。そして、短期目標が決まれば、それに向かって何をしていくかを1ヶ月、1週間、1日と作業項目が決まっていくのです。これは、プロジェクトを進めていくうえでも大事なことで、どこでも行われていることです。

このように1日のやることリストはできるのです。

2.今日やることができないとどうなるのか

今日やることがどのように決められるかを考えると今日やることができなかった場合の問題点が見えてきます。

つまり、今日やれなければ、明日やらなければいけません。ということは翌日は前日分のやることができてくるわけですから目標に達成することが難しくなるわけです。通常のプロジェクトであれば、そのリスクも込で計画を立てますし、遅れそうならば、再計画や人を投入したりします。しかし、個人的なことでは自分一人で行わなければいけないのですから、今日やることができなかった場合のリスクは大変大きいということがわかります。

3.まとめ

目標を達成するには今日やることはやはり今日やらなければなかなか達成が難しくなりそうです。達成できたとしてもどんどん後に伸びていきます。先延ばしにすると自分のほしい結果も先延ばしになるということですね。

昔理解できなかったことが大人になってようやく理解できたということになります。仕事を通して感じたことや本で学んで感じたこと、そして子供の成長を見て感じたことを総合するとこのように考えるに至りました。

みなさんも将来こうなりたいなという思いがあると思いますが、その思いをベースにしていろいろやることを考えてみてはいかがでしょうか?

 

幸せになるために必要なことーパイレーツオブカリビアンからー

先日、パイレーツ・オブ・カリビアンの最新作がDVDで届きましたので、それを見ました。映画としてとても良く出来ていてすごく楽しめました。もともとこのシリーズはすごく好きで最初のものからすべてDVDを購入して見ています。見ていてあることに気づいたので、今日はその話をしたいと思います。

1.なんだかジャックに敵対する人って共通点があるような

楽しみながら見た映画ですけど、よくよく考えてみたらジャックに敵対する人の共通点ってあるなぁと感じました。なんだか憎しみとかを持っているんですよね。そのためなのかよくわかりませんが亡霊というかそのようなものになっているような気がするのです。

最初はとても良い人だった気がするんです。デービージョーンズも今回の人も。

そこから考えるに、憎しみって本人にとってもとてもつらいものだよなぁと感じるんです。そこにあるのは、恐怖だったり恐れだったりするような気がします。それをある形で刺激されると憎しみや怒りに変換されて増幅されていく。そんな気がするんですね。するとそれに侵されて思考も変化していく。

それがあの形になっていっている気がどうしてもするんです。これは、映画の中だけではなく現実にしてもそうなんではないかと。

2.それに対してジャックの姿勢って

それに対してジャックってどうでしょうか。悪びれもせず、逃げているのが見て取れますよね。まあ、幸せかといえばどうかはわかりませんが、少なくとも自分の人生を桜花しているようには見えます。

ここからは想像ですが、ジャックとしては自分を認めてその自分とうまく付き合っているのではないでしょうか。その時々でアイデアを出して苦難を乗り切って行き、それによって自分の人生を崩さない。

ここから学ぶべきところは、どんな状況に陥っても自分のこととして捉えてなんとかしようとする姿勢ではないでしょうか。

3.つまるところここから学べること

僕は、この映画から上記のようなことを感じました。そして、更に考えを進めて幸せに生きることとは何かということを考えてみました。

実は、人の根底にある恐れの対局にあるものそれは感謝ではないかと思うのです。

感謝はしようと思えば、どれだけでもできると思うのです。それに伴っていろいろなものを手放さなければいけない局面も出てくるとは思いますけど。その時に、恐れを克服することによって自分の中に感謝が湧き上がってきて、良いもので満たされると思うのです。

このように書いていますが、実際感謝することはとてもむずかしいです。そこに焦点をおいて生活している人でもまだまだ究極の感謝体質にまでいけていないと言っています。

実際に難しいんだと思います。でも、究極の感謝体質を目指すこと自体を否定しませんし、そのようになれたらと思いもしますが、それよりもまず第一歩を踏み出し、楽しい気持ちを持てたらいいのではないかと思うのです。きっと感謝を心に持てていたら気分が楽しくなってくるのではないかと予想しています。

 

あなたは、どう考えますか?

自己責任に繋がる思い

自己責任について2回ほど記事を書きました。

自己責任の使い方について

自己責任という言葉を使うとき

今回は、更に自分の思いが自己責任と繋がるということを考えてみたいと思います。

1.前提について

思いというのは、人生においてどういう作用をするのかということをまず考えてみたいと思います。これは、実は前にも書きましたが、「原因と結果の法則」の中にも書かれていますが、よい思いは、良い結果を生み出し、悪い思いというのは悪い結果を生み出すということが書かれています。図式としては以下のような感じになるのではないでしょうか。

思い→原因→行動→結果

ここで、「原因と結果の法則」の中では、原因と結果にピックアップして書かれていますが、ここでは思い→行動という点に焦点を当ててみたいと思います。行動から様々な影響がいろいろなところに波及し、結果として現れてくるとだけここでは理解してください。

2.行動に繋がる思い

思いには、2種類あります。それは先程も書きましたが、良い思いと悪い思いです。何を基準に良い悪いと判断するかはなかなか難しいところではあります。なぜなら、基準はその人の生きてきた背景で作られるからです。そこでここでは、「原因と結果の法則」を基準として考えてみると、なんとなく答えが見えてくるような気がします。良い思い、悪い思いそれぞれ6個ずつをあげていますが、ここでその12個を書いてみます。

<良い思い>

  • 気高い思い
  • 清らかな思い
  • 勇気と信念に満ちた思い
  • 活気にあふれた思い
  • 好意的で寛容な思い
  • 愛に満ちた思い

<悪い思い>

  • 動物的な思い
  • あらゆる種類の汚れた思い
  • 恐怖や疑いに満ちた思い
  • 怠け心
  • 敵意に満ちた意地悪な思い
  • あらゆる利己的な思い

いかがですか?やっぱりちょっとわかりにくいですか。なんとなく抽象的ですよね。でもこれが結構的を得ているような気がします。では、もっと根本に迫ってみたいと思います。

3.悪い思いから出る行動

悪い思いのほうが少し理解しやすいと思いますので、まず、悪い思いの原点から探ってみましょう。あなたは、何が悪い思いの原点だと思いますか?上記悪い思いのリストを見てみて、なぜそのような思いを持ってしまうのか。それは、将来にある恐怖から来るのではないでしょうか?将来ちゃんと生活出来ているのかとかお金が稼げなくなってしまったらどうしようとか今の生活が送れなくなってしまったらとかそんな不安や恐怖があるとどうしても悪い思いにつながっていくと思うんです。このような恐怖や不安には余裕があまり感じられませんね。その思いから出る行動はどうしてもそれに切羽詰まったものになり、悪い思いに則ったものになります。

上記リストにある思いから出る行動は、どうしても悪い方に向かうような行動になっていってしまいます。そこには、良い思いから出る行動とは正反対のものになりますから同じ行動をしても結果は違います。一時は同じでも最終的には分かれていくのです。

この悪い思いの行動には自己責任という認識はありません。ですから結果を見てなぜ自分がこんなことにならなければいけないんだという気持ちが湧き出るのです。

4.良い思いから出る行動

それに対して良い思いの原点はなんでしょうか?僕は寛容ではないかと思うのです。寛容な思いはまず赦しがあり、感謝があり、なんとなく余裕があるような気がしませんか。そこから出てくる思いからは良い行動につながっていくと思うのです。

良い思いから出た行動には自己責任という認識のもとにあるように感じます。その行動によって起こったことについては他人を責めることが無いような気がするのは僕だけでしょうか?

5.行動から結果へ

今見てきた行動はすべてその行動に沿った結果が出てきます。よい思い、よい行動にはそれに即した良い結果が、悪い思い、悪い行動には悪い結果が出てくるのです。ここでいう結果とは最終的なものです。最終的というものがどの時点ということは言えませんし、直接的でなくてわかりにくいものかもしれません。何がどうつながっているのかを理解することは人間にはなかなか困難なものだからです。

だから、もし状況が悪いとかなんだか腑に落ちないとかなんだか悪い状況が周りに近づいてきたら立ち止まって本当の原因はどこかを考えてみるのがいいかと思います。

あなたは、どう感じますか?

 

 

 

自己責任という生き方

先日、自己責任という言葉は使うべきではないなぁという記事を書きました。

参考:自己責任ということは何を意味するのか

よくよく考えてみてこれは他人に使う場合のことではないかと思うようになりました。

では、他人に対して使うのはあまりにも愛がないとは言え、自分に対して使う場合にはどうなのだろうかということを考えてみてみたいと思います。

 

1.自己責任という生き方

自己責任という生き方をしてみようと考えてみた時に、言葉の通り自分の行動に責任を持つということです。つまりはその行動によって起こった事象は自分が管理しているということです。いいことも悪いことも自分がすべて受け止めるということ。

では、もっと深く考えてみて、自己責任を持つにはどうするべきなのかといえば、目標を持つこと、ビジョンを持つこと、将来に希望を持つことではないかと思うのです。

いくら自己責任だからといって自分が他人に悪影響を与えてよいかといえばそうではないと僕は考えます。せっかくならみんなが幸せな世の中にしたい。であれば、その世の中を幸せにしたいという目標、ビジョン、希望を実現するためにはどう行動していくのかを決めていく。いつもの自分の行動規範にまで落とし込んで自分が自然に振る舞えるように心に刻みこむ。それが自己責任という生き方をすることに繋がるのではないかと思うのです。

ここで書いたことはあくまでも例ですので、あなたが目指したい目標などがあればそれに向かって生きていければいいのではないかと思います。

2.人生に目標を持つことの重要性

これは実は人生をより良く生きることに繋がることは読んでいただければ解ると思います。ただ、これだけではなかなか自己責任ということを体現できるかといえばそうではないと個人的に感じているのです。こう書いている僕もまだまだ全然です。入り口に立っているのかどうかも怪しいです。なぜなら、ここまで出来るようになるには精神的な成長、成熟した精神性というものが必要になってくるだろうと思えるからです。

しかし、できないというわけではありません。それに向かって、目指して訓練していけばそこの道にたどり着けるように成っているのです。動きさえすれば目指しさえすれば。ここで人間の悲しい性ですが、その時の自分の精神性がそれを受け取れるかどうかによって受け取ろうとするのか取りこぼしてしまうのかは決まります。チャンスは何度もあるので落胆することはありません。ただその時ではなかったというだけのこと。

そこで、人生に目標を持つということはどのような意味においてもとても重要であると思うのです。

それがあって、自己責任において行動していくことができるようになり、人生が形作られていくのです。もし、つらいことや悲しいことがあったとしてもそこから何か学び取り他の人に良い影響を与えていければそれは人生の肥やしになり、醍醐味となり生きる楽しみとなるのです。

 

あなたも自分自身で自己責任という生き方をしてみるのもよいかもしれません。

 

自己責任ということは何を意味するのか

少し前によくテレビでも「自己責任」という言葉が流れていましたね。実はこの言葉あまり使うべきではないんじゃないかと最近思うようになりました。なぜかといえば、この言葉で大体のことが片付いてしまうような気がしてしまったのです。そして、結構冷たい感じがするというか深く考えると何もできなくなるようなそんな危険性をはらんでいるような…

そこで、この記事を書こうかずっと悩んでいましたが、思ってしまったことですし、書いてしまおうと決意して今日に至ったわけです。なので、これを読んでもひとつの考えであると思って読んでみてもらえれば幸いだと思います。

それでは、自己責任ということがどういうことなのか、どうして使うべきではないのかを書いていってみたいと思います。

 

1.この記事の前提とする背景

ジェームズ・アレンさんの「原因と結果の法則」に多分の影響を受けています。そのため、原因→結果というつながりを意識しているため、行動も発する言葉も思いもそれが原因であれば、自ずとその後の事象に繋がるということを念頭に置いています。これには、自分のみならず自分と関わりのある他人も更にはその背景、成長の過程なども含めて考えて書いていますので、ご理解の程よろしくお願いいたします。

2.「自己責任」の意味

(1)一般的に言えること

自己責任の意味を調べてみました。興味があればご自身でも調べてみてください。僕が調べた限りでは、「自分の行動による影響は自分で責任を取るということ。その内容には他人は一切関わりを持たない」ということです。

(2)個人的に考えること

僕は行動だけではなく、言葉も思いもそこに含まれると思っています。そして、それに影響されるもの、例えば話をする相手とか世話をしているペットとかそのようなものにどのように接するかということも更にどのように今まで生きてきたかということも考えたうえでの行動が言葉が思いが必要であってそれに責任を持つべきなのではないかと考えるようになったのです。

これには、前述の背景のみならず自己啓発書などにも書かれていると思いますが、「変えることができるのは自分のみである。他人を変えることは難しく、不可能に近い。」という考えに基づいているものです。これは、実は自己責任に繋がる考えだと思っています。他人の行動は自分が責任を負うべきではないし、負えるものではないということを暗に示唆しているのではないでしょうか。

自分が行動を起こす、言葉を発するなど相手に影響を与える行動をしたあとに、それを受け取った相手がどのような行動を起こすのかということをある程度は予想をすべきではないのかなと思うのです。だから行動をした後にどのようになるのかはその行動を起こした人の責任となるような気がするのです。

もし、人と人が話をしている場合にはこれが交互に行われます。

・Aさんが言葉を発する → Bさんがどう受け取りどう行動するかはある程度予想

・Bさんが言葉を受け取る → Bさんの中で噛み砕き

・Bさんが言葉を発する。 → Aさんがどう受け取りどう行動するかはある程度予想

これの繰り返しです。

つまり、このように考えると自己責任とは今に始まったことではなくずっとむかしから自分たちの中で意識しなくても普通にやれていたことであるとおもうのですが、最近はこの流れにうまく乗れない人たちも出てきたような気がします。もしかしたら僕もそうかもしれません。これは誰が悪いというのでもなく、劣ったとかそういうのでもなく、時代がそうなるようになってしまっているというのが僕の考えです。

ですから、今の時代を生きるときには昔は考えなくても良かったことを少しだけ考えるだけでずっと暮らしやすくなるような気がします。

 

3.「自己責任」のどこに引っかかりを覚えるか

これは、もうすでに述べているのですが、自己責任ということは考えれば考えるほど範囲が広くかなりのことをこの言葉で片付けることができるような気がするのです。これが僕がひっかかっていることです。しかし、これによって片付けていいこと悪いことってあると思うんです。だからこそ、極力使わないほうがいいんではないかと思うのです。

昔は考えなくても良かった自己責任がなぜ今考えなければいけなくなってきたかということに触れてこの記事を締めたいと思います。

<自己責任を考えなければいけない理由>

(1)時代背景

昔:大家族、村(組織の中で育つ)、一致団結

今:核家族、個(組織という認識が薄い)、個人プレー

(2)ルールというものに対する認識

昔は、時代背景にも書きましたが、大家族で村で育ちます。子育ても村全体でするようなイメージで、お隣さんからも叱られて当たり前です。すると、地域のルールによって生活する癖がつきますし、反省の仕方も学ぶことができます。これが学校でも家庭でもそれこそ村を歩いている時ですらそうだったかもしれません。つまり、共通のルールが染み込みますので、他の人に注意をされても反省し、自分で行動を正すことができますので、自己責任を意識せずともうまく立ちまわることができるようになります。

今は、核家族で鍵っ子も多いかもしれません。子育てといえば家庭の中で行います。地域との関わりもそんなに濃くはないのではないでしょうか。このようなことから考えると共通ルールというものを持ちにくい状況になります。他人に注意され慣れていないことのゆえに自分の感情に惑わされるのではないでしょうか。こうなってくると他人に注意すること自体が危険なことのように感じます。そこに自己責任を意識しなければいけない理由が出てくるのです。

これは、ビジネスにおいても同じことで知らない分野や知らない顧客にアタックしていくのが危険なことです。始めるのであれば、相手を知るところからはじめなければいけません。知らない人にどんな言葉でどんな態度で接すればいいかということを考えるべきだよなぁと思うのです。

あなたは、どのように感じますか?