いろいろあってそれでよい

タイトルの「いろいろあってそれでよい」とは、僕が感じていて生活や活動の基盤にしたいと思っている思いです。個人のことを思えば、人生いろいろありますよね。悲しいことも楽しいことも。それがあって人生は輝きを放つと思っています。それがその人の味を作り出していく。そして少し考える範囲を広げて世間一般についてもそう思うのです。

しかし、そこには個人で考えた時には出てこなかった問題も多く内在し、それの一部が表に出ている状況が今のネットの世界だったり、社会だったりするのではないかなぁと感じる時があります。

先日、ネットで目にしたのは人種差別的な発言があるとか発達障害の話とか。自分の子供も発達障害であると診断されているし、ましてやそのように診断されていない兄弟もそうなんではないかと感じる今日このごろ。発達障害については個人的に目につきやすい内容です。また、なぜだか人種差別。今のこのご時世にとも思うのですが、もしかしたら多様性が目立ってきた今だからこそなのかもしれません。

多様性が容認というか認められつつある昨今の日本の社会と、ネットの普及に伴って発言がしやすくなってきている状況が合わさると人種差別的な発言も大きく広がることになるのかもしれません。昔は小さな村の中という閉じた世界だったのが、もっと広い世界になった感じでしょうか?

人間が暮らす状況は多様性が認められたり、ネットで広い世界にアクセスできたりとバージョンアップして新しい環境になりつつあると感じています。それに比べて僕達人間は昔のままの状態なのではないでしょうか?人にも多様性があるので、今の状況に対応できる人もいますが、対応できない人は今までと同じように本来は個としてみるべきところを個を見るときに個が所属しているグループを投影して見てしまう傾向があるように感じます。ある意味ではそういう部分もあるのかもしれませんが、それよりも個としてみてあげたほうが断然よい結果が生まれると思うのです。

多様性が認められるということは、発達障害を持った人のことも理解してもらえる場が少しずつできているのではないかと思う部分です。もしかしたら、間違っているのかもしれません。しかし、ネットで発達障害の情報をよく目にするようになったのは事実です。

このような状況を見るにあたり、いろいろな人と力を合わせて社会を作っていくとそれは面白いものが生まれるのではないかと思いが湧き上がってきます。国もいろいろ、人種もいろいろ、考え方もいろいろ。それでいいと思うのです。お互いがお互いを認めてあげれたら、良い社会になっていくのではないかと思うのです。

なかなか難しい部分もありますが、よい世の中になったらいいなぁと感じています。