人生における視点の変化

このブログでは、人生について語ることが多いです。
それは僕が自分の人生を生きるということについて考察し
皆さんに共有しようという目的でこのブログを書いているからです。

さて、今日は人生における視点の変化ということについて
考えて見たいと思います。
しばらくお付き合いください。

生きているといろいろ考えますよね。何気なく考えていること
実はそれが視点につながると思うのです。
自分のことを振り返ってみると社会人に成りたてのときには
技術のことや収入のことを考えることが多かった気がします。
どうやって収入を増やすかとか新しい技術を見つけようとか
この2つの関係は結構密接で技術があるから給与を要求する
と考えることもあれば、お金無視してユーザに最高のものを
提供しようなんて考えたときもありました。

この場合、ステークホルダ(利害関係者)の関係次第で
考え方が変わりますよね。

で、このようなことを考えていると技術の情報は手に入るし
視点もそちらに向きますから目につきやすくなります。
お金については、会社と交渉したり、転職を考えたり
しますよね。
このような形で僕が成人に成りたての頃は視点、
所謂アンテナはそちらに向いていました。

しばらく働いて30歳を越える頃になると部下をあてがわれます。
その会社では他の会社に入り込んで仕事をすることが多く
部下とも離れ離れで別の仕事をすることが多いんです。
そんな時には部下の状況の確認をしなければと思い、
打ち合わせをするようになります。
すると、自分の仕事感から部下の本当にしたい仕事はなにか
を知りたくなり、キャリアパスとかそういった物を考えるように
なりました。

そもそも、社会人に成りたてのときにはその傾向が有りましたから
キャリアパスについて考え、勉強するようになります。
部下と話をしていても将来についてどうするかとか言ったことを
考えている人はあまり多くないのかもと思いましたので、
そこに視点を向けさせるような会話をして将来について考える
機会を与えるようにしていました。
仕事に追われるとそういったことを考える時間もありませんからね。

ということで、部下がついたことで視点がちょっと広がったんですよね。

今の自分と言えば、このようなことを通して一通り考えて味わい
次の段階にいってる気がします。
つまり、すべてを取っ払って自分の人生を生きるということを
考えるようになってきたので。
一度自分の中に深く潜り込んで何かを見つけ出し、戻ってきて
社会に還元する。
このようなイメージでしょうか。
自分の人生を生きるのは、とても楽であり、社会にも貢献できる
素晴らしい生き方だと思うんですよね。
ただ、自分の人生を生きるというとどういうことかって思ってしまう
のは、そのとおりですが、誤解を恐れずに一言で言えば、世の中の起きてくる
出来事や自分が行うことについて自分が納得して生きるということです。
納得するかどうかは自分しだいですからね。

そして、今僕が持っているアンテナ・思考の方向性などを使って
世の中を見るとすごくきな臭いです。
僕はクリスチャンですからお祈りしていますが、世の中が変わる
そんな雰囲気を感じています。
しかも大きく。

世の中の現状は、実は戦争に入っているに近しい状態と認識
しています。
今の時代の戦争は、情報戦が主な戦場だと思います。
だから意識しないとアンテナをはらないと何が起こっているか
わかりにくいのです。

これから先は皆さんに委ねますが、ネットを見ると
とてもざわついている気がしています。
だからこそ、状況を見守り、その備えをしておく必要があると
思います。

皆さんは、どんな視点で世の中を見ますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

生き方が表れてくる言葉遣い〜「で」と「が」の使い方〜

僕は自分の人生を生きることを目的として生活していますが、そのことを心に留めて生活していると様々なことを考えさせられます。昔は、「えっ」と思ったことも今ではそうだよなと思うこともしばしばです。そこで今日は、そんな言葉の中から「で」と「が」の使い方について教えられたというか自分の気持が表れているなぁと感じたので、あなたと共に考えてみたいと思います。

「しばしば」と「ときどき」
「しばしば」と「ときどき」についてちょっと疑問に思ったことがあります。これは、会社のストレスチェックの時に使われていたように記憶していますが、その時調べてもらった感じでは、しばしばのほうが頻度が高く、ときどきの方が頻度が少ないらしいということでした。
しかし、今回改めて調べてみたら、さほど違いはなさそうです。もしかしたら、ストレスチェックのときの項目も僕の記憶違いかもしれません。

参考URL
「ちょくちょく」「しばしば」「たびたび」の違い

言葉に宿る思い


何気なく使っている言葉ですが、その言葉に知らず知らずのうちに思いが宿っているとよく感じます。今回考える「で」「が」は本当に何気なく使ってしまう言葉だなぁと思い、更には自分の思考傾向(つまり考え方の癖)が表れていると感じたのです。
今回、これに気付かされたのは、前にも書かせて頂いた住んでる地域の小さな祭りにおいて、子供の友人のおじいさんから指摘を頂いたときです。このことは、昔は妻もよく言っていたことでその当時はそんなものなのかと思っていたのです。
しかし、いろいろ人生を重ねて学びが深くなっていくうちに結構重要なことかもと思えるようになりました。
そのため、今回ご指摘頂いたときにも心から納得し、感謝の言葉が心から表れてきました。

どのような言葉、文なのか


「〜でいいです」
あなたはこのようなフレーズをよく使いませんか。どのような場面で使うかと言えば、以下のような場面でよく使いがちです。

相手:お茶とジュースどちらがいい?
自分:お茶でいいや。

実は、これってお邪魔しているときなどは特に相手に失礼に当たりますし、お茶自体にも失礼にあたります。言われてみて当然ですよね。本当の指摘していただいたことはとても感謝です。このように書いてみて改めて失礼だなぁと感じます。特に紙に書いてみると失礼さ加減が半端なく感じますね。

生き方、考え方が現れる言葉


これって実は深層心理というかその人の生き方というかそのようなものを表していると感じたのです。
上記の例で「お茶でいい」とは「お茶でもジュースでもどちらでもいいけどどちらかといえばお茶」的なニュアンスがありませんか。実際にそうだと思うんです。これって僕の生き方を結構表している感じです。個人的にこれじゃなければいけないというものがそんなにありません。だから選択を迫られた時にどちらでもよいという発想が出てくるんです。
対して「お茶がいい」という言葉については、「お茶とジュース飲むならお茶がいい」とはっきりと自分を表現しています。その時飲むべきものがはっきりしています。

人の人生において大事なこと


人生は、選択の連続であるということはこのブログでもお話させていただいていますし、他の方でもそのように言われていることが多いですし、あなたも実感としてあるのではないでしょうか。
その一つ一つの選択が人生を作り上げていっています。そのため、ある時点で間違った選択をしてもその後の選択次第では取り返しがつくように人生は構成されていると思うのです。そこに如何に気づくことができるかということが大事だと思うのです。
ここでお話したシチュエーションは本当に小さな出来事です。しかし、バタフライ効果という理論があるとおり、小さな出来事も後々大きくなることが考えられます。
自分の人生を生きるならだいぶ楽になります。自分なりに納得しながら生きれるからです。だからこそ、この小さな出来事についても自分の人生を生きることを反映させて言葉を使ったほうがよいのです。

まだまだ小さい頃からの言葉遣いの癖とか考え方の癖とかが多く有りますが、今回のことに限らず、意識して生きていきたいと思います。

あなたはどのように感じますか。

思考バイアス〜正解に導く考え方〜

最近読んだ本の中(ビジネスモデル2.0図鑑※1)に思考バイアスという言葉がありました。
※1とてもはじめの方です。ページとしたら4ページ

恥ずかしながら、この言葉の意味がわからなかったので、検索してみたらとてもおもしろいページにたどり着きました。
参考:思考バイアス 解説1

このページを見て、「ああ」と納得したのですが、つまり正しい道があると思いこむこと。そして、
正しいと思ったことはなかなか変えることができないこと。と理解しました。もしかしたら間違っているかもしれませんが。
バイアスって僕の個人的なイメージですが、道すじみたいな感じなんですよね。それで納得した次第で。
バイアスの意味

そう考えると、上記ページ「思考バイアス 解説1」にかかれている内容は、今の韓国の状態も日本の状態ももしかしたら同じなのかもしれないと思った次第で。
最近の世界情勢をとても関心がある中でこれを読むと自分も思考バイアスがかからないように気を付けないといけないなぁと思った次第です。

さて、それでは、バイアスにかからないためにはどうするかを書いてみたいと思います。

正解はないと心得る


(1)他者との関係
実は、正解ってないということをご存知ですか。そう、正解はないんです。あるのは、他者と自分の2つだけ。でものの見方は3つ。
①発生した事象:起こったことに対する事実
②自分側からの見方
③他者側からの見方
もしかしたら次のものもあるかもしれません。
③’部外者からの見方

ここにこれを上げたのは、他者との関係では正解がないということです。自分の考えと他人との考えは全く同じであることはそんなに多くありません。大筋あっていたとしても必ずあっていない部分があるものです。これを理解すれば、正解はなくて限りなく正解に近いものがあるということが理解できるでしょう。

(2)自然法則など
今は正解であるとされていても来る将来の世界では間違いである可能性は否定できません。つまり、この点についても不確実なことなのかもしれないのです。この考えを持たなければ新しい発見はできません。
実は知っているという気持ちはとても危険なものなのです。

つまり、正解はないのだという気持ちがあれば、違う意見を受け入れる準備ができ、
どちらの意見が現状にマッチするかより正解に近づくのかを検討する段階に入ることが
できるのです。

ここまで読んでいただき自分のことを振り返ってみましょう。
あなたは、思考バイアスにかかってはいませんか。

さて、これから冒頭でお話したビジネスモデル2.0の本を読み始めようかと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

人生を生きる上で何が大事か〜現在、過去、未来〜

人生を生きる上で大事なことは様々ありますが、そのうちの一つが時間の概念です。あなたは、生きていく上で過去、現在、未来のどれが大事だと思いますか。どこの時間に重点をおけばよいでしょうか。
今回はこのことについて考えていきたいと思います。

人生における大事な時間


人生における時間の概念でざっくり認識で言えば、現在、過去、未来というものがあります。
今回考える上でこの3つの時間について考えていきたいと思います。
はじめに結論を言ってしまいますが、人生において大事な時間はこの3つの中では、現在が
1番大事です。今起こっていることが現実だからです。そして、今は過去の流れから来ていますし
今は未来へと続く流れです。この一つの流れの中に人はいるわけです。
当然と言えば当然ですよね。ただ、現在を生きている人がいるかといわれるとそうでない人も
いるような気がするんですよね。まあ、有り体に言ってしまえば、過去に囚われている人とか
未来に不安を感じている人なんかは、現在に生きていると言いにくいのではないでしょうか。
もちろん、悲しい出来事があって前に進めない人もいますから全てを否定するものではありません。
ただ、過去に囚われているのに気づいていない人や現状がなぜこうなっているのかわからない
と言った人にはここで言う話はよいかもしれません。そこで、以降では過去ということについて
また、未来ということについて考えていきたいと思います。特に、過去も未来も捉え方によっては
良くも悪くもなりますからしっておくにこしたことはありません。

過去の使い方


では、過去というものとどのように付き合えばよいかということについて考えていきたいと
思います。
過去というものは、今まで生きてきた足跡と言えますよね。その中でいいこともあれば悪いことも
ある。それが人生というものだからです。そして、過去を振り返るということは今を生きる上で
とても重要です。
自分の過去であっても国としての過去であっても有名な人の生き様でもなんであってもそこから
学ぶことができるのです。それが過去と付き合う良い方法です。
もし、過去を自分の成長のための学びとして捉えることができないとそこに囚われてしまって
前に進むことができなくなるという現実が待っています。その場合には、今を生きているのではなく
囚われた過去に生きていると言えるでしょう。
今を生きるためには、自分のその時の感情を乗り越えて過去の出来事を学びへと昇華して
自分を成長させることが大事です。

未来の使い方


対して、未来はどうかというと不安という感情が人間にはありますね。今後どうなっていくんだろうかとか。
実は、未来に対しては起こってもいないことを想像することによって起こる不安な気持ちが今を生きれなく
するのです。
不安なことを思えば次第にネガティブになっていきますから、自然と今を生きれなくなりますね。
未来のために備えをシなければいけないという気持ちも起こるでしょうし。
実は、その不安は自分次第。実際に起こっていないわけですからね。
では、今を生きるためには未来をどのように使うか。楽しいことを思い描くようにするのです。
将来こうなったら楽しいなとか。そうするとワクワクが心に起こってきますから、
自然とポジティブになり、やる気も出ます。すると今を生きれるようになるのです。
今を生きているわけですから自然と思ったとおりの未来に近づけるでしょう。

まとめ


つまり、人生で大事なことは今を生きるということです。そうして初めて人間は成長し
よりよい人生を謳歌していくことができます。
先程も書きましたがタイミングによっては、今を生きれないときがあっても良いと思うのです。
それを乗り越えて今を生きていけるようになれば。
そうなれば、その人は強くなりよりよい人生に向かっていけます。

この記事を書いた背景は、実は韓国との関係が悪化したからにほかなりません。
そのため、いろいろなことを学びました。戦争のことや慰安婦、徴用工(募集工)のことなど。
でも、結局その時に生きていなかったので、わからないことが本当に多いです。
報道機関も必ずどちらか寄りに記事を上げてきますから、書いた人の主観を取り除かなければ
事象としてもぼやけてしまいます。
そんな中、国としての韓国の姿を見て、人にも当てはまることが多いと思った次第です。

ただ、韓国の人すべてがそうだと思っていません。あくまで国としての韓国を
見た場合についてということです。

できれば、仲良くやっていけたらと思いますが、それにはそれぞれルールを
守らねばと思いつつ、情勢を見守っていますし、これからも見ておこうと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

人生の目的、生きる意味などを考えてみた結果

あなたは、人生の意味とか生きる意味とかを考えたことがありますか?僕はあります。実は小学生の頃から。
うちの家庭は、父と母がよく喧嘩をしていました。父がお金にだらしなかったためです。結局父と母は別の人生を歩むことになりました。それに関しては当時も今も父と母のことなので、それで良いと思っていますし、結果それでよかったと思います。自分の人生の中でも内省を行うことにも繋がりましたから。そして、内省をずっとし続けていくうちに、なんとなく人生の意味というものを感じてきました。
実はこれって人それぞれが見つけるものだと思うのですが、参考になるかもしれないと思って個々に書いてみることにしました。
個々に書かれている内容はあくまでも個人的な見解であり、人生の目的、生きる意味はそれぞれが自分で見出していくということが前提としていることを覚えておいてください。

人生の目的は

人生の目的については、色々考えました。子供の頃はやっぱりよくわからなかったです。そのため、死にたいと思ったこともしばしばです。ですが、そこを乗り越えて色々学び、ここまで来るとなんとなくわかって来たような気がします。人生の目的は…

人生を素晴らしいと感じること!

ここに至るまでには様々な出来事があると思います。辛いこと、悲しいこと、寂しいこと、腹立たしいこと、と同時に楽しいこと、嬉しいこと、幸せと感じることなど。そういったことを経験し、このことに気づきそれを胸に感謝をして生きていくこと。これが目的だと思ったのです。
だから、例えば死にたいと思ったとき、死ぬことを選択するぐらいならその状況から逃れることを考えてみてはどうかと思うのです。人生は素晴らしいはずなんです。だから素晴らしいと感じるところまで生きてみる。そのために自分の心が疲弊しすぎてしまい、生きていく元気がなくなるのであればその原因を取り除き、もう一度スタートを切ってみるということも一つの案ではないかと思うのです。

そこに至るまでのいろいろ

そこに至るまでにはいろいろなことがあります。それは、先程書いたとおりです。そして、目的に達するためにもう一つ重要なことは、自分の人生に責任を持つということ。これは、言い換えれば自分の人生を納得して送ること。そして身内も含めて他人に迷惑をかけずに生きていくことと言えます。
最近、悲しい出来事が多く起こってますよね。これって自分勝手な生き方をしていると思われがちですが、実は自分を大切にしていないということの現れではないかと思うのです。高齢者の自動車事故や虐待に関することって、自分自身を大切にしていないからと言えるような気がするのです。このように感じてしまうので、僕としては自分を大事にすることを声を大きくして主張したいのです。
もっとイメージすることができるようになり、もっと人との関わりも変わってくるし、行動も変わってくると思うのです。技術や行政の運用などで回避できる部分もあると思うのですが、いまの現状ではそちらと同時に個人でできる対策というものも大事なのではないでしょうか。

まとめ

自分を大切にすると必ず今までの自分の人生も振り返ることになります。その中でどれだけの人と関係を持ち、どれだけの人に助けられたか教えられたかを知ることになります。きっと関わった人全てから学ぶ機会を与えられているのに気づくと思います。その後、自分がどれだけ成長したかも感じられます。そこから出てくる感情は…

「感謝」

これに尽きます。様々な人に支えられ、助けられ成長させてもらえたのですから。不思議と自分を大切にすると他人に対しても大切にできるようになっていきます。その理由が、ここに書かれていることなのです。自分もいろいろな人に助けられたと知れば、自分も他の人に助けようと思うものです。そして素晴らしい人生に気づいていくのです。ここまでくるともうスパイラル効果で感謝と素晴らしい人生の積み上げが始まっていくのです。これは理想であり、実現できないことでしょうか。
僕は実現できるのではないかと思っています。自分と向き合い、自分を大切にし、自分の人生を振り返り、感謝なこと不快に思ったけど実は自分の成長の機会だったことなどを知るのは、可能です。毎日少しでも心鎮めて考えてみるだけでもだいぶ違うのではないでしょうか。
そこに至れば、解決できなかった問題も解決できる可能性があるのです。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

人生を構築するための情報活用方法

僕は本が大好きでよく読みます。個人的にクリスチャンであることから聖書も読みますし、最近はビジネス書を読んだり学びのために本を読んだりします。しかし、誰もが知っている通り本だけでは学べることはかなり限られてきます。そして、今は本という形ではなくブログという形を通して様々な物語に触れる機会が多く有ります。

今日はそんなブログというかネットにて配信されていた心温まる話に目を触れたことから人生にどのように影響を与えるかそして情報が多い時代だからこそ情報の取捨選択は人生に大きな影響を与え、彩りを添えることになるんだということをお話したいと思います。

目次
前提
どのような情報を得て人生に彩りを添えるか
取り込んだ情報で人生を再構築する

前提

人には共通して与えられているものとして時間があります。時間は人によって流れ方が違いますが、その価値は多くの人が知っているとおり結構価値があります。その時間をどのように使うかということがまず大事になってきます。このブログの中でも置く書くことですが、目的、目標に沿って時間を何にどのように配分するかで目標に近づけることができるかというのは大きく変わります。
つまり、時間を何に使うかは人生においては重要なポイントとなります。
また、だからといって無駄に使った時間が全く意味をなさないかと言えばそうではないと僕は考えます。人生において無駄と思えることでも実はそこからの学びがあるため、無駄でも無意味ではないと思っています。
この記事でもそうですが、当ブログではこのような考え方に沿って物事を考察しています。

どのような情報を得て人生に彩りを添えるか

1.情報伝達の種類

情報が多く氾濫している今日のような時代ですが、どのように情報を得るべきでしょうか?一つは、紙の媒体を用いること。例えば本や新聞です。技術書などは紙で見たほうが良いときも有りますし、ワークブックのようなものも紙の方が書き込めるので、そちらのほうが良いですね。新聞なども世の中の起こっていることをざっと流し見る意味では良い媒体です。
このように発生から時間が経っても意味のある情報に関しては紙の媒体でもよいかと思っています。そして、この紙の媒体の良いところは、手などを使用して紙の感触を感じながら文字を読めることです。よく考えたらこれって贅沢ですよね。
対して、電子的な情報媒体も最近は流行っています。テレビ然りネット然り。これらの媒体は速さを売りにしている部分が有ります。確かに物事が置きてから発信されるまでの速さは群を抜いてます。今は携帯電話が普及したことにより誰でも情報が発信できる時代になりましたから、特にその傾向が強くなってきている気がします。

2.情報を得やすくなったことによる弊害

情報が氾濫し始めてだいぶときが経ってきました。前から言われていることですが、浅く広く情報が発信されている場合もあり、情報に信憑性などがないという問題が出ています。これは、最近も変わらず、特に携帯電話でいつでも発信できること、SNSなど個人の繋がりをネット上に構築したことなどが挙げられます。今はネットが出てきてこのような状況が一般大衆の目に付きやすくなったがために言われ始めましたが、実は昔から存在しました。よく映画などでも出てきますが、大きな組織が人をまとめるときの手法によく似た状態が全体的に広がったイメージです。
これは、人間が何らかのテストをされているような感覚に陥ります。今の状況を手に入れたら人間はどのように動くのかというようなテスト。〜まあ、考え過ぎかもしれませんね。〜

3.情報の取捨選択

さて、このように情報が氾濫している状況で情報を取捨選択する方法を模索していく必要が有ります。ではどうするかというとあなたが取っている立場によって方法は変わるでしょう。
人によってはスピリチュアルな考え方をするのであれば、直感を信じるとか神様を信じているのであればお祈りするとか情報の信憑性を調べるとか。この中でも直感はなかなかよいものかもしれません。(個人的にはお祈りもしますし、信憑性も調べます)直感はそれまで生きてきた自分の能力を試す良い機能です。その選択によって間違っていると思えば受け取らないようにする必要もあります。それも直感ですからね。このように情報の取捨選択によって人生が構築されていくのです。
そして、今日出会った記事がこちら。僕はとてもあたたかいものを受け取りましたよ。
「あんたは宝箱」認知症のおじいさんが妊婦に伝えた言葉に涙が止まらない

取り込んだ情報で人生を再構築する

さて、今まで情報の取得について書いてきましたが、取得した情報をどのように活用するか。まづ、取得した情報は鵜呑みにしないことが大事です。疑った目でそれを見る必要があります。そして、情報を活用するために必ず自分で確認する。それができなければ一つの可能性であるとしてとどめておく。
そして、取り込む価値があると判断した情報を使うには、生活の中で活用するのが1番。そして、それが確かめることにもつながるし、問題なければ人生が良くなり、問題があれば悪い方に向かいます。悪い方に向かっていると感じるのであれば、その情報を活用することを辞めることです。人生については、情報を活用して効果が出るのに時間がかかるものもあればかからないものもあります。そのため、先程お話した直感だったり、日々の祈りが大事になってくるのです。少しでも違和感を感じたら活用を辞める勇気が必要です。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

価値観の多様性

先日、スターバックスが1200円の珈琲を販売するとニュースになりました。それで結構物議を醸しているそうです。1杯1200円の珈琲は高いとか色々言われているそうです。そこで今日はこれを題材にものの価値観について議論したいと思います。ものの価値観を理解することはお金を扱う上で非常に重要になってきます。

目次

  • 1200円の珈琲は高い?
  • ものの価値は人それぞれ

1200円の珈琲は高い?

あなたにとって1200円の珈琲は高いでしょうか?それとも安い?人によっては安くも高くも感じますよね。僕だったら使っている豆が良い豆であれば、出してもよいかなと思います。

例えば、サザコーヒーでは、1杯3000円するものもあるらしいです。それにはそれなりの理由があります。その3000円するコーヒーの豆を購入するのにかなりお金をかけているのです。その豆は、ある賞を受賞するほどの豆であり、それぐらいするのも納得です。そのコーヒーを飲む人は、1度でよいから受賞した豆がどのようなものかを知りたいと思い、3000円出しても飲んでも良いと思うのです。

だから、スタバで1200円のコーヒーを提供しているのはそれなりに良い豆なのだろうと思うのです。そこに価値が見いだせればそれで良くて、価値が感じられなければ飲まなければ良いのです。所謂自己責任というものです。

ネットでよく言われているようなことは飲んでいる人にとってはどうでもよくてそこに価値を見出しているということなのです。

ビジネスとは、価値を提供するものだと思います。それによりお金が流れて経済が成り立っていくものだと思います。だからこそいろいろな商売があり、ものが流通していくのです。

ものの価値は人それぞれ

人の価値観はそれぞれです。最近は特にそれを感じます。だからこそいろいろなところでものが売れたり売れなかったり、売る場所によっては高くなったり安くなったりするのです。自分ではその値段では買わないものでも他の人は買ったりしますし、自分が十分安いと思っても高いと思って買わない人もいます。これは、人がそれぞれ育ってきた環境や生活してきた地域などが違うことにも起因します。生きていくということはとてもおもしろいと感じるのはこのようなことがあるからです。

お金というものは、価値の標準化をしたものですが、人がものにどのような価値を見出すかは人それぞれであるということをここではお話しました。僕はよくものの価格について適正かどうかということを考えてみたりします。その基準は僕というよりも他のものと見比べてみてどうかを判断します。判断するときは耐久性や使い勝手も考えて総合的に判断します。そして、妥当だけど買わない判断をするときもあります。

個人的には常に価格の妥当性を見極める訓練はしておいたほうがいいのかなと思ってます。

あなたは、いかがですか?

お金を持つときに知っておくべき一つのこと

お金を多くても少なくても手に入れるときがあります。働いていれば1ヶ月分の給与として手に入れることができます。このお金を手にしたときに知っておいたほうがよいことが一つあります。これは、当たり前すぎてみんなが言わないことです。なのでこれから書くことは知っていることが多いかもしれませんが、一度じっくり考えてみてください。

目次

  • 経済を成り立たせているもの
  • 物を得る方法
  • 現在の物
  • お金とはなんなのか
  • 結論

経済を成り立たせているもの

今の経済を成り立たせているものは、基本的なことですがお金の流通です。物とお金を交換することによってお金の流通が発生してその循環によって社会が発達してきたと思います。では、この経済の基本となっている物とお金の交換についてもう少し見ていき、最終的にお金を持つときに必要な考え方とはどのようなものかを導いてみたいと思います。

物を得る方法

皆さんは物をどのように得ているでしょうか?先程も書きましたがお金を払って手に入れていますよね。最近ではクレジットカードやプリペードカードなどでも買うことができます。お金がなかった時代にはどのように得ていたでしょうか?実は物々交換だったのではないでしょうか?この物々交換を管理しやすい形にしたのが現在のお金の起源だと思っています。このお金を払って物を得るという行為がどのようなことなのかを紐解けばお金の本質に近づけるのではないでしょうか?

さて、物々交換をもう少し細かく捉えることにします。物々交換における大事な要素は、交換するものの価値が等しいということです。例えばお米1kgと珈琲豆500gを交換する場合、お互いが納得したら交換が成立するわけです。そのときに重要になってくるのは交渉術と思います。うまく交渉できればいい交換ができるような気がします。しかし、このままではなんとなくトラブルが起きそうな気配がしますね。人によって交換条件が変わってしまうということです。すると、不満が起きやすいのはわかりやすいのではないでしょうか?そこでお金が登場します。お金の価値をこれぐらいと決めてみんなに通達すれば、お金を得るときにはこれぐらいの価値を提供し、物を得るにはこれぐらいのお金を払うということが可能になり、わかりやすくなるのです。今の経済の中でも物々交換の要素は残っていますね。値引き交渉なんかはその要素が強く現れているような気がします。

つまり、物を得るために必要な価値というのがお金の本質な気がします。であれば、通貨というものでなくてもポイントとかそのようなものに置き換わっても問題なく機能して経済を回すことが可能になるのです。

現在の物

現在の物は目に見えるものにとどまりません。電子上のものだったり、考え方だったり、目に見えないものが多くなってきている気がします。その意味でより価値が大事になってきているような気がします。そして、現在多様化の時代に入っている気がするのですが、それ故に人によって物の価値が大きく変わってきている気がするのです。

オークションなんかは、人が感じる価値によって値段が変わりますね。その場の雰囲気も作用して普段ではありえない価格になってしまったりします。本も電子化されて目に見える形になっていないものもあります。書かれている内容に価値を感じれば本でなくても問題はありません。
このように考えるとより価値の交換の要素が強くなってきている気がします。

お金とはなんなのか

結局お金は価値を交換するために作り出されたものです。極端な話、価値を提供できてお互いに納得できればお金がなくても生活できるということになります。お金を持つこと自体は悪いことではありませんが、多くのお金を手にしたときにこのことを知っておかないとお金の多さに埋もれてしまってよく言われる破産に向かっていってしまうことになりかねません。お金があれば確かにできることは広がりますが、ないからと言って何もできないわけではないということを知っておいてもらいたいのです。

結論

お金というものは、価値の代わりであるということをここではお話しました。お金があるから金持ち、お金がないから貧乏ではありません。お金の本質を知っていることがより重要です。お金持ちはお金の本質を知っているため、お金がなくなってもまたお金を手に入れることができますし、お金がなくても生活には困りません。

お金そのものよりも自分がどのような価値を提供できるかがより重要な時代に来ているような気がするのです。

あなたは、どのような価値を提供しますか?