考え方の根底にあるもの〜枠組みの存在〜

あなたは、常識というもののあやふやさを知っていますか?常識というものは一般的な考え方だと思うのですが、そこには不確定要素が多く存在します。それは一般というものがどの範囲かということ。どれぐらいの人がその考えを持っていたら異パン的なのでしょうか?僕にはよくわかりません。
このように考える僕はきっと非常識なのでしょう。そこで、今日は常識という観点から人が考える根底にあるものを考察し、さらに人とコミュニケーションを取る時に顕にされる見解の不一致がどこから来るのかを考えてみたいともいます。

なぜこのように考えるようになったか


なぜこのように考えるようになったかと言えば、YouTubeで宇宙人の動画があってその中で宇宙人は以下のことを話していたことによります。
・われわれは地球人が進化した姿だが、生殖機能がないため別の種族と言える
・神はいない
・この世界は偶然による
などなど

まあ、Youtubeで流れていることをそのまま鵜呑みにするつもりはありませんし、神様の存在を無理やり信じ込ませるつもりもありません。(ちなみに僕はクリスチャンですが、だからというわけではありません。)
この動画を見て思ったのは、その宇宙人が話している内容は地球人の考え方に似ていると思ったのです。同じ土俵で話をしているなと。宇宙人って地球人とそんなに変わらないんじゃ?と思ったわけです。
で、このあたりは感覚の話になりますので、自分なりになぜこのように感じたのか深く考察してみました。

このように感じた理由は実は次でお話する考え方の根底にあるものが同じに感じたからです。
その意味で宇宙人が地球人が進化したものというのも本当であればなんとなくわかるような気がしました。

人の考え方の根底にあるものとは


考え方の根底にあるものとは、実は枠組みの存在です。フレームとも言われます。
これが同じ土俵で話をしているような感覚に陥った原因です。枠組みとはどのような立場で物事を考えるかということにほかなりません。僕は、ひと目をはばからずに言いますが、人間の存在とは肉体と霊の2つに分けて考えています。ベースにあるのがこれですから、多くの人とは枠組みがかなり違うことになるのです。一般的には、個というものは霊とも肉とも分けて考えることが少ないように感じます。とすると先のように神様は存在しないという話になってくるのです。実はそれってあまり大きな問題ではありません。もっと別の根本的な話をする必要があるのです。
僕からしたら先のYoutubeの宇宙人の話が本当であれば、宇宙人も大したことなく肉体ベースの考え方しかできていないということになります。物事の捉え方が普通すぎるという感じを受けました。

コミュニケーションによる相違


人とのコミュニケーションは、基本的にはベースとなるものが表に出てきますので、それを理解しておけば、会話というものも楽しくすることもできますし、そのコミュニケーションの中から学びも起こってくることになります。
基本的には、そのベースとなる部分つまり枠組みはその人独自のもので、どれ一つをとっても同じものはないと思っています。ただ、人が集まればルールなどができるので、枠組みが似通ってくることはあると思うのです。
近年は、人との距離が昔ほど近くないと感じますので、その意味ではそれぞれの枠組みが違ってきていて、それを理解できないためにトラブルに発展することも多くありそうな気がします。
世の中に起こっているニュースを見るとそれが顕著に感じられます。

人生における枠組みという存在


僕は、人生において人が持っている枠組みというものは人固有のものであってとてもおもしろいものだと思います。人の間でも違いますが、同じ人でも枠組みが変わることもあり、本当に不思議な存在です。生きてきた中で育てることができるものが枠組みだと思うのです。
枠組みは、視点を変えるということでも有りますし、物事の捉え方を変えるということでも有りますし、物事を見る場所を遠くしたり、知覚してみるということでも有ります。
同じ事象を見ても感じることが様々なように、その感じ方は見る場所、見る立場によって変わるのです。それを理解している人は大人であると感じ、理解していない人は子供と感じるのです。その意味で、この世の中は大人が多いでしょうか?子供が多いでしょうか?どちらにしても、人生は物事の捉え方で大きく変わりますから、枠組みという存在もかなり重要に感じるのは僕だけでしょうか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。
あなたはどのように感じますか?