良き理解者の必要性

人生には理解してくれる人が必要であると常々思っておりました。今回はそれをある映画から感じたので、書いてみたいと思います。

先日、「ボヘミアン・ラプソディ」がBlueray/DVDで出ましたね。うちにも妻が購入して来ました。4k版もありますがうちは再生する機材がないので、Bluerayぐらいでちょうど良い感じです。その映画は見た方も多いと思いますが、クィーンの。。。というかフレディのお話ですね。ライブ・エイドという1985年の募金活動の一環のライブまでのお話です。このお話の別の部分については、こちらに記載しましたので、興味があれば見ていただければと思います。ここでは、特に良き理解者の存在って大事だなぁと感じたのでどこを中心にしたいと思います。

この映画の中では、フレディーを支える女性としてメアリーという方が登場します。知っている人にとってはとても有名な方だと思います。彼女は、フレディのことを理解していたんだと映画を見て思いました。それは、異性に感じるものや夫婦に感じるもの以上の何かが合ったのではないかと思うのです。実は、このような支え合うような関係って自分たちにも存在すると思うのです。それが伴侶であったり、友人であったりはたまたビジネスパートナーであったりすると思うのです。

人生の中でこのように支援してくれる人の存在は大きく、様々な部分で良い方向に向かっていくようになっていると感じるのです。実は、自分も知らず知らずのうちに支援者になっていたりするかもしれません。

人の人生は複雑に絡み合い、人の思いがどこに向くのかということもわからないです。しかし、時として気になる存在や支えたくなる存在、支える必要を感じる存在がいることは確かです。それはなぜそう感じるのかはわかりませんが、そのようになっていると思うのです。その時に支援するかどうかは自分で選択することが可能であることも世の中面白くできているのです。

あなたは、誰に支援されていますか。また誰の支援者になっているでしょうか。今一度そのような観点で人間関係を見つめ直してみるのも良いかもしれません。

自分が何を知っているかを知ることが知識の始まり

このタイトルの言葉をどこかで聞いたことがあります。多分、どなたか哲学者の方が言った言葉でしょうか。調べてみたのですが出てきませんでした。このことについて個人的にいろいろ考察してきましたので、一度現時点の考えをこでまとめてみようと思います。

目次

  • 知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること
  • いつまで経っても知らないことはなくならない
  • まとめ

知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること

人間は、知らないことを知った状態になることに快感を覚える生き物だと思います。僕自身もそうですし、過去偉業をなしてきた人たちにもそうだったのではないでしょうか。つまり、知識の探求を行うことに喜びを覚えるのです。では、その最初は?

知らないということを自分自身認識することから知識の探求は始まると思うのです。なので、よく子供などがいろいろ聞いて知っていることを自慢したいのかは置いておいて「そのことは知っている」という言葉を聞くと知識の探求に蓋をしてしまっているなぁと感じるのです。僕は、自己責任主義を持っていますので、たとえ知識を得る機会を逃していたとしても何もいうことはありません。ただアドバイスとしてそこで思考が止まってしまうということはいうだけです。蓋をしてしまうとそれ以降中に入ってこないので、それまで他の観点で見た場合に新しい発見が合ったときにはそれを知ることができなくなるのです。

特に研究などを行っている人には先入観は禁物であることは知られているのではないでしょうか。刑事ドラマとかでも先入観は禁物であることはよく示唆していますよね

知らないと知ることによって、知ろうとする心が生まれて来ます。すると、不思議と今まで気づかなかったことに気づくことができるようになってくるのです。だから、知っていると思っている事柄でも一度白紙に戻してもう一度学び直すとそこからそれまでの知識以上のものが発掘できるかもしれません。そもそも、人間は日々成長する生き物ですから同じ本でも昨日読んだ時に得た知識と今日読んだ時に得た知識は同じとは限りません。

先日、見た映画でも同じように感じましたので、その時の記事を共有しておきます。コンタクトー宇宙にいる人との接触と人間の2極化ー

いつまで経っても知らないことはなくならない

知らないということをなくそうと努力しても知らないことはなくなりません。逆に言えば知識が増える分知らないことは増えていくように感じるかもしれません。それもそのはずで、物事には2面性があるからです。見える世界と見えない世界があって複雑に絡み合っています。見える世界のことを取り扱っているのは技術だったり、コミュニケーション方法などと言ったスキルと言われるもの。見えない世界のことを取り扱っているのは、スピリチュアル系の本だったり、宗教だったり。それぞれを一緒に考えることが少ないように感じておりますが、別々に物事を見ていくと不思議なことや知らないことが増えてくる感覚に陥っていくのです。

では、見える世界と見えない世界の両面から見ていけば知らないことがなくなるかと言えばそうではありません。知らないという事実を受け入れることが重要になってくるのです。そうすれば、物事の本質に近づけるようになります。ちなみにテーマが違うのであまり多くは語りませんが、見える世界と見えない世界は感情という要素を通してみると面白い世界が広がります。このことについては別の機会にお話できればと思います。

まとめ

ここまで見てきたとおり、知らないことは知識の始まりであり、死ぬまで知らないことがある。これは人間に与えられた喜びであり、死ぬまで成長を続けることが出来るということです。人生は楽しいことでいっぱいであるというのが僕がここから出した結論です。

あなたはどのように感じますか。

言葉の持つ力ーその使い方と結果の受取ー

あなたは自分が発した言葉にどのような影響が出るかを考えたことがあるでしょうか?実はそこには自己責任という隠れた責任が存在していることを知っている人はいるでしょうか?それとも当たり前すぎて考えたこともないでしょうか?今日は、言葉の持つ自己責任性について考えてみたいと思います。

  • 言葉というもの
  • 自分と他人との関係性
  • 言葉の持つ自己責任性

言葉というもの

言葉の歴史は古いですね。意思疎通を図るものとして発展してきたと考えられていると思います。人間としては生まれたときから備えられた能力の一つと考えられます。ただ、別の考えをすれば、言葉を発することを覚えると同時に何かを手放している可能性はあります。ここでは話の関係上触れませんが、人間の能力は計り知れないものと考えられます。このように古くからある言葉というものは、人間にとってとても身近に存在します。それこそ意識しなくれもそばにあるものと考えます。それ故に言葉の力を意識できない人もいると思うのです。しかし、言葉の力というものはかなり大きなものであり、自分に対しても他人に対しても影響を与えるものです。これを踏まえて他人との関係性について考えてみたいと思います。

自分と他人との関係

自分と他人との関係において重要になることの一つが言葉ではないでしょうか?コミュニケーションを図る上でも言葉というものは結構重要な部分を占めていると感じます。そしてこの言葉を使ったコミュニケーションは時にいろいろなところに影響を与え自分に帰ってくることがあるのです。それがすぐ帰ってくることもあれば時間を開けてから自分に返ってくることがあるので、それが何故に起こっているのかがわからないこともあるのです。これが言葉が影響を与えるという理由です。しかもその言葉がいいか悪いかと言うのではなくどのように他人に受け取られたかで返ってくる方法などが変わってくるから更に複雑になりわからなくなるのです。これって携帯電話の契約に似ていると思ったのは僕だけでしょうか。

このように考えると自分の発した言葉によって自分の回りの状況が作られてくるんだということが少し見えてくるのではないでしょうか?自分に起こったことに対して不平や不満などを感じているときにはこのことを頭に置いたほうがよいと思います。そして自分の中に沸き起こった感情と向き合い、どのような行動・発言をするかを熟考するのが懸命です。その後の状況が大きく変わってくるからです。あなたはどのような人生を贈りたいですか。自分がよいと思える人生に向かいたいのであれば、余計に発する言葉には語気なども含めて気をつけたほうがよいです。

言葉の持つ自己責任性

ここまで見てきたように言葉には力があります。だからこそ発する言葉を熟考する必要があるのです。自分の周りで起こっていることはもしかしたら自分が発した言葉や行動などが原因かもしれないと思えば、自分が発した言葉というものにそれなりの責任があるといえるのではないでしょうか。

そんなことを考え始めると喋ることが怖くなる人もいるでしょうが、そこは心配しなくてもよいのです。世の中で起こっている出来事はそれを受け取る人が成長するためのものと考えると自分が発した言葉をその人がどのように受け止めるかはその人次第でそこはその受け取った人の責任と言えるのです。

気をつけたいのは、自分が発した言葉で自分に何かしてもらったときです。このときは自分が発した言葉がその人にそのように受け止められたのだと受け止めなえればいけません。そして、自分の中できちんと一連の流れを受け止め今後の人生に活かすようにしなければせっかく成長のために発生した出来事でも無駄にしてしまう可能性があるのです。

成長するべきところで成長できなければその後に別の形で問題として現れ、製法の機会が与えられることは別の記事に書いたとおりです。このことから自分が発する言葉には自己責任性があると言えるのです。

まとめると、言葉を発することを臆してはいけません。積極的に良い人生に向かうことができるように言葉を選ぶことをしたほうがよいということです。と同時に受け取りの仕方も学ぶ必要があります。遠慮は不要です。積極的に受け取るべきです。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

人生を変える方法の一つ

人生を変えたいと思ったことはないでしょうか。僕はあります。そのためには人生がどのようなものなのかを考えて見る必要があると思います。そこで、今日は人生のある側面について考察して、人生をより良い方に変えることができるかを考えてみたいと思います。

目次

  • 人生を構成するもの
  • 変えることができるもの
  • 今をどう生きるか
  • これからのこと

人生を構成するもの

あなたは人生は何で構成されていると思いますか。人や出来事やものでしょうか。実は構成要素としてはそれらは確かに存在します。そして、人生の方向を決めるのに出てくる登場人物としては、自分・相手・出来事の要素ではないかと思うのです。そして、ある出来事を自分がどう受け止めるかそしてそれに対してどのような行動を起こすのかという選択の連続で人生が方向付けられると考えられると思います。

なぜなら、自分の受け取った出来事、そしてそれに対する行動を受け取った相手それぞれの感情の絡み合いで出来事は連続的に出来上がっていきます。これが世の中で起こってくる出来事の本質です。人の受け取り方は人によって様々です。だから、世の中は複雑に出来上がっていくのです。人の受け取り方をある程度理解できれば世の中の出来事の本質はそれなりに理解できてくるのではないかと思っています。

そして、人生は視点を自分に向けて考えたときに見えてくるものです。僕は人生で大事なことを大まかに考えると、「自分が何をしたいか」といった目的、そして「自分の受け取り方」という選択、そして「どのように行動に移すか」という選択の3つだと考えます。

この3つをより深く考えていけば、人生を変えることができるのではないかというのが僕の提言です。

変えることができるもの

あなたは、変えることができるものはなにかを知っているでしょうか。実は変えることができるのは自分の考え方や行動のみであるということはよく言われていることです。他人の行動はなかなか変えることができませんし、他人が絶対変えないと思っていた場合には絶対に変わりません。それに対して自分というのは自分しだいですので、変えることは可能ですよね。

もし、自分の人生を変えたいと言った場合に、何を変えるべきかと言えば、自分の受け取り方、行動を変えると良い方向に向く可能性が高くなります。そして、先程目的というものも人生の構成要素として上げましたが、そこには思いというものが根底に流れますから、それにそって受取、行動を変えれば目的に向かって人生が動き出すと考えられるのです。これについては、ジェームス・アレンさんが書かれた「原因と結果の法則」という本の中に書かれていますし、有名な「思考は現実化する」もこの考えに近いものがあるのではないかと考えています。

今をどう生きるか

さて、今を考える前に過去に振り返ってみましょう。人生の要素の一つ「受取」に絞って考えます。一般的に過去は変えられないと考えられてますね。確かに過去に起こったことは変えることができません。しかし、変えることができることもあります。それが過去に自分が受け取った出来事の感じ方を変えること。つまり、受取を変えるということです。その時点で考えられる受け取り方をしてそれによって行動してきて今の人生になっているわけですが、それを自分の人生の目的に沿った考え方で受取をし直す作業をしてみることがとても大事になって来ます。人生は、出来事の連続、受取の連続というお話をしました。それをもう一度構成し直すのです。すると人生の裏の登場人物「感情」がよいものに置き換わるのです。自分の今の性格も変わってきます。醸し出す雰囲気も変わります。人の自分に対する態度も徐々に変わってきます。人生が少しづつ変わってくるのです。今が変わってきます。目的に沿ったものに近づいてくるのです。

どうですか?なんとなく人生って変えることができると思いません?

これからのこと

ここまでくるとこれからの人生も大きく変わります。今までの人生が嘘のように感じられ楽しくなってくるのです。人生は、連続性があります。今が変われば、これからも変わってきます。受取、行動も目的に沿ったものとなりますので、助け手も出てくることでしょう。

これが、僕が考える人生を変える方法です。方法は一つではありません。あなたも自分で色々考えて人生をより良くしてみてもらいたいと思います。

もし、よくわからないなら、本を読んだり講演に行ったりして自分の中にいろいろな考え方を取り込んでみてください。きっと何かが自分の中に出来上がってくると思います。それで人生を変えていければ良いと思うのです。

あなたは、どのように考えますか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。

仕事はなぜ行うのか

仕事はなぜ行うのか疑問に思ったことはありませんか。そもそも仕事しないと生きていけないと思っていませんか。ここではこの疑問について少し時間をとって考えてみたいと思います。

目次

  • 目的が変わってくる?
  • 仕事は人生の一部
  • 結論

目的が変わってくる

仕事の目的というものはその人の成長度合いによって変わってくると思われます。そもそも仕事をすることによってお金をもらえることから結構お金のために働く人や生活するために働くという人が多いような気がしますが、実はその他にも仕事を行う理由というものはあると思います。

そもそも会社が存在する意味というものがあって、社会に貢献するためというのが一般的な考え方です。その考えを基本とするのであれば、その会社で働く僕達も社会に貢献するというものが目的として上がってくると思うのです。ただ、この目的はそこそこ成長した人でないと理解することが難しいこともまた事実です。

だから、人の成長度合いによって目的が変わってくるのです。そして、どれが正しいというものではないというのもこの考え方から来ています。では、目的を考えるのは意味がないのでしょうか。そうではありません。先程も書きましたが、仕事の目的は成長度合いによって変わってきますので、目的を考えたときに自分がどこの視点で考えることができているかを検証することには意味があるのです。

仕事は人生の一部

仕事は人生の一部と考えることができます。そう考えれば人の成長度合いによると言われても納得できないでしょうか?人の人生を考えたときに生まれてから死ぬまでずっと学び、成長し続けます。大人となっても老年を迎えてもそれは同じです。だからこそ人生の大半の時間を仕事に割くことを考えれば、仕事が人生の一部であり、だからこそ仕事というのは人の成長度合いによっていろいろと変わってくるのです。

だから仕事の目的が変わることは当然です。僕の例で言えば、はじめは技術志向でそれで食べていくと考えていました。だからこそ自分の技術に磨きをかけ、給与はそれに見合っていると思われるものを要求しました。ある時からチームで働くことに意義を感じるようになりました。一人ではできることに限界があっても、チームであればより大きなことができると思ったからです。このときから仕事の目的が少し変わった気がします。もともと社会に貢献するというものを持っていましたが、よりそれを強く意識できるようになった気がするのです。そして、もう少し時間が経つと部下やあとからくる人への知識や技術の提供を考えるようになります。そして、人をよく見るようになりました。そして目的はより社会への貢献というものに繋がっていったのです。

結論

だから、あなたが考える仕事の目的はそれはそれでよいのです。少し目線を変えて少し将来の自分のために今後の働き方を考える上で何を大事にしていこうかを考えることもしてほしいと思うのです。それが今後の仕事の目的に繋がっていったらなおのことよいかなぁと思います。

お金を持つときに知っておくべき一つのこと

お金を多くても少なくても手に入れるときがあります。働いていれば1ヶ月分の給与として手に入れることができます。このお金を手にしたときに知っておいたほうがよいことが一つあります。これは、当たり前すぎてみんなが言わないことです。なのでこれから書くことは知っていることが多いかもしれませんが、一度じっくり考えてみてください。

目次

  • 経済を成り立たせているもの
  • 物を得る方法
  • 現在の物
  • お金とはなんなのか
  • 結論

経済を成り立たせているもの

今の経済を成り立たせているものは、基本的なことですがお金の流通です。物とお金を交換することによってお金の流通が発生してその循環によって社会が発達してきたと思います。では、この経済の基本となっている物とお金の交換についてもう少し見ていき、最終的にお金を持つときに必要な考え方とはどのようなものかを導いてみたいと思います。

物を得る方法

皆さんは物をどのように得ているでしょうか?先程も書きましたがお金を払って手に入れていますよね。最近ではクレジットカードやプリペードカードなどでも買うことができます。お金がなかった時代にはどのように得ていたでしょうか?実は物々交換だったのではないでしょうか?この物々交換を管理しやすい形にしたのが現在のお金の起源だと思っています。このお金を払って物を得るという行為がどのようなことなのかを紐解けばお金の本質に近づけるのではないでしょうか?

さて、物々交換をもう少し細かく捉えることにします。物々交換における大事な要素は、交換するものの価値が等しいということです。例えばお米1kgと珈琲豆500gを交換する場合、お互いが納得したら交換が成立するわけです。そのときに重要になってくるのは交渉術と思います。うまく交渉できればいい交換ができるような気がします。しかし、このままではなんとなくトラブルが起きそうな気配がしますね。人によって交換条件が変わってしまうということです。すると、不満が起きやすいのはわかりやすいのではないでしょうか?そこでお金が登場します。お金の価値をこれぐらいと決めてみんなに通達すれば、お金を得るときにはこれぐらいの価値を提供し、物を得るにはこれぐらいのお金を払うということが可能になり、わかりやすくなるのです。今の経済の中でも物々交換の要素は残っていますね。値引き交渉なんかはその要素が強く現れているような気がします。

つまり、物を得るために必要な価値というのがお金の本質な気がします。であれば、通貨というものでなくてもポイントとかそのようなものに置き換わっても問題なく機能して経済を回すことが可能になるのです。

現在の物

現在の物は目に見えるものにとどまりません。電子上のものだったり、考え方だったり、目に見えないものが多くなってきている気がします。その意味でより価値が大事になってきているような気がします。そして、現在多様化の時代に入っている気がするのですが、それ故に人によって物の価値が大きく変わってきている気がするのです。

オークションなんかは、人が感じる価値によって値段が変わりますね。その場の雰囲気も作用して普段ではありえない価格になってしまったりします。本も電子化されて目に見える形になっていないものもあります。書かれている内容に価値を感じれば本でなくても問題はありません。
このように考えるとより価値の交換の要素が強くなってきている気がします。

お金とはなんなのか

結局お金は価値を交換するために作り出されたものです。極端な話、価値を提供できてお互いに納得できればお金がなくても生活できるということになります。お金を持つこと自体は悪いことではありませんが、多くのお金を手にしたときにこのことを知っておかないとお金の多さに埋もれてしまってよく言われる破産に向かっていってしまうことになりかねません。お金があれば確かにできることは広がりますが、ないからと言って何もできないわけではないということを知っておいてもらいたいのです。

結論

お金というものは、価値の代わりであるということをここではお話しました。お金があるから金持ち、お金がないから貧乏ではありません。お金の本質を知っていることがより重要です。お金持ちはお金の本質を知っているため、お金がなくなってもまたお金を手に入れることができますし、お金がなくても生活には困りません。

お金そのものよりも自分がどのような価値を提供できるかがより重要な時代に来ているような気がするのです。

あなたは、どのような価値を提供しますか?

子供が考える将来の仕事

先日、息子の小学校卒業式がありました。自分が卒業したときのことや長男が卒業したときのことを少し思い出しながら感慨にふけっていました。そして、とても良い時間だったと思います。今の小学校ではすべてが同じかはわかりませんが、息子の小学校では卒業証書を受け取る前に自分が何になりたいかそして中学ではどうするかという決意表明のようなものを言ってから受け取ります。

自分のときはどうだったかなぁと思いながら、参列していました。息子はロボットを作りたいと言っていました。そのために中学では数学など頑張ると言っていました。心強いというかなんとなく微笑ましく思いました。

その後、前からみたいと思っていた映画「ヒューゴの不思議な発明」という映画を見ました。その話はとても心があたたまるお話でその話は一つの機械人形がキーアイテムとして物語が進んでいきます。それを見てロボットについて考えさせられました。

その物語の機械人形は昔の日本で言うところのからくり人形と同じです。ゼンマイで動いており、それを動かすと絵を書くという。ロボットの起源ってどこからかはわかりませんが、そのからくり人形と息子が言っていたロボットを作りたいと言う言葉が自分の中でリンクしてしまい、からくり人形というものを深く学んでみるのも一つではないかと思ったのです。

そこで、いろいろ調べてみました。今はいろいろなものが調べれば出てきますし、購入も可能なんですよね。調べてみた所、作る系のもの「大人の科学シリーズ」はやはり高価ですね。19,000円ぐらいします。でも、その機能などを学べることとか考えたら値段相応というかむしろ安いぐらいかもしれません。買えるかどうかは別としてもですけどね。逆に本だけだと3000円ぐらい。人によっては高いと感じるかもしれませんが、僕はビジネス書など3000円ぐらいする本はザラにあって購入することもままあるため、あんまり高いとは思いませんでした。レビューをみると買ってみても面白いかもなぁと思いました。

からくり人形の魅力はなんといってもゼンマイ一つでいろいろな動きをするところ。いつかロボットの開発をするときにこのようなローテク(基本となるような技術)はとても大切だと思うんですよね。

僕はプログラマだったり、設計者だったり、保守・メンテナンスだったりしていますから様々な業務に関わりますが、基礎技術の大切さは常々感じていますから、息子には基礎技術を大事にしてもらいたいなぁと感じた今日この頃です。

実は、この基礎技術の部分は何も科学技術だけにとどまらず、いろいろなところでも同じことが言えると思うんですよね。それをプロレベルの人はきっと知っていて何を当たり前のことをと思われるかもしれませんね。

あなたは、将来何をしたいと思いますか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。

人生における目標で掲げる4つのこと

実は、人生に目標を掲げるときには4つのポイントに絞るとわかりやすいということをご存知ですか?実は、昨年2018年に書いた記事にそのことが書かれていました。そのうちの1つを書ききることができずに今日まで来てしまいましたので、今日はその残りの1つを書いてみたいと思います。

4つの目標

人生における4つの目標は、次に示すものです。

  • 自己改革(自己の成長)
  • 社会的な地位
  • 健康

この中で僕が個人的におろそかにしていることで昨年に書こうとして最後まで残ってしまった目標(それが今回書こうと思っている記事ですが)が「健康」です。人は健康であれば健康について考えることはないのではないでしょうか?しかし、いざ健康ではなくなったときに、健康とは当たり前のものではないということに気がつくのです。

だからというわけではないのですが、人生における目標の一つに健康を上げるということはそれなりに意味、意義があり、最終的に自分の人生を振り返ったときに一つの良い思い出となるようにするには、健康に目標を掲げておくと良いのではないかと思うのです。

そこで、この記事を読んでいるあなたに質問です。あなたは健康を一つの目標として何か取り組んでいることはありますか?もし取り組んでいるのであればそれを続けてください。もし取り組んでいないのであれば、これからでもよいので健康を人生の目標の一つとして何か行動を起こしたらどうでしょうか?

健康を意識するタイミング

健康を意識するタイミングとしては、会社に努めているのであれば、健康診断がありますよね。毎年行われるはずです。その中では様々な指標が確認できます。例えば血液の成分とか胃部のX線とか超音波での確認とか。そこで何か見つかれば再検査になります。

その1年に1回の健康診断に向けて日々何かしらの行動を起こすのは何かしらの意義があります。食べ物に気を付けたり、行動に気を付けたり。それこそかつてひと駅分歩きましょうなど、言われていましたね。まづはそのようなことから始めるのがよいと思います。そのうちに健康になるためにはどうするのかを1日のうちもしくは1週間の内それだけか時間をとって考えてみたり、本を読んでみたり、計画を立ててみたりしてみてはいかがでしょうか?僕は個人的にプチ断食をしてお腹の中をリセットするということを1年のうち2回ぐらいはやってみたいなぁと思っています。

健康になるにも方法は様々

健康に関して調べればいろいろなことが出てきますよね。食事だったり、運動だったり、日々過ごしている体の姿勢だったり。その一つ一つをすべて最初から行うのは難しいと思うので、自分で可能だと思うことから少しずつ行っていけたら良いですね。僕は基本的には運動が大事かと思っていたので、昔から自転車で片道40分は通勤しています。今はこれに追加していきたいなと思っているところです。次は食事か姿勢かどちらかかなぁと思います。姿勢もしっかりしていたらかっこいいですからね。

かくいう僕は先日大腸ポリープが見つかり、取ったばかりです。こればっかりは検査しなければ見つかりませんから、致し方ありませんがこのことを通して健康ということに意識を向けることの大事さを知った経験でした。今後、何か健康について良さそうなことがあったらまた報告したいなぁと思います。

では、本日はこのあたりで。

ここまでお読みいただきありがとうございました。