ものと心の境界線

最近、ものよりも心のことにアンテナが張っていることに気づく。本を読んでも話を聞いても心のことに敏感に反応するからだ。そこで、今日は、最近読んだ本の中で2つの本から教えられたことを心の面からお伝えしたいと思う。

1.どんな本を読んでいたのか

2.そこから何に反応したのか

3.そこから得られたことは何か

 

1.どんな本を読んでいたのか?

最近読む本はビジネス系の本が多いが、今回も例にもれず、資産をどう構築するのかといった内容の本だった。これはもちろんお金というものに関する本だ。しかし、お金は不思議なもので、他のものと比べるとものという側面と心という側面を持っているというか学ぶのに適した存在であることは確かなことだ。

著者は同じ方で、アメリカの大富豪の方だ。最近は働きを買えられたというか役割が一段落したとかで本名での活動を開始されたとのこと。タイトルは、「7年以内に最低1億円の個人資産をつくるマル秘資産形成術」と「大富豪の投資術」。

この方は本当に好きで僕の性格にマッチした内容の本を書かれている。本については個人差によって合う合わないがあると思うので、積極的にはおすすめしないが、気になるようであれば一読することをおすすめする。きっと、何かを感じたから気になるので、それを利用しない手はない。

もちろん、「資産形成術」は資産について書かれているので、その関係で本の1コーナーに収入額によってどのような生活が送れるようになるのかということが書かれていた。今回引っかかったところと関係するのはこの部分。

「大富豪の投資術」は、投資に関する話なので、さまざまな投資の話が書かれている。どちらも資産に関連するものだが、こちらのほうがより多くのことが書かれている感じがする。

2.そこから何に反応したのか

実は「大富豪の投資術」は、先日手に入れたばかりでほとんど読み切れていない。そんな状況なのに何に反応したというのだろう?実は、偶然開いたページに書かれていたことがとても心に響いてしまったのだ。

「収入が多くなれば生活の質も向上するのか」

というサブタイトルがついたチャプターがあり、その中に書かれていた内容がそれ。つまり、生活の質は何によって決まるのかを書いた文章だった。簡単にいえば、1000万円未満と1000万円以上で生活の質は変わらないということだった。心の中で「そうなの?」と思ったのも事実。しかし読み進めていくうちにそれ以上では豪華なものにあふれた生活が出来るだけで、生活の質(生活のしやすさとか)はある一定の収入で止まってしまうということだった。本が書かれた当時で1000万だから2500万円ぐらいが妥当と本には書かれていたが、なるほどそうなのかもなと思った。これがこの本に反応した部分。ちょっとかっこいい言い方をすれば、ファースト・リアクション?

3.そこから何が得られるのか

僕はそこからある一定までは頑張って収入を増やす必要はあるのかもしれないと思った。そして本の中にも収入を増やすことをいけないことと言わないと書いてあった。気をつけるべきは収入中毒にならないことと。収入は中毒性があるということだ。確かに自分は収入が増えれば嬉しいし、もっと収入を得るために頑張って働きたいという気持ちになる。結局休みも返上して働いてもあまり気にならなくなる。それって本当に幸せなんだろうかと思う。そこで、目指すべきは収入の増加と使える時間の確保なのではないかと思った。収入が増えて時間が削られると家族との時間も少なくなる。それよりは収入も家族との時間も両方共得られたほうがよくはないだろうか?

ものと心の境界線のひとつはこのあたりにあると思えるのだ。

あなたはどう考える?

 

怒りをうまく使うことで成功に近づく

感情のコントロールの話をしましたが、今日はその中でも個人的に厄介だと思っている怒りについて取り上げたいと思います。

特に怒りはあまり良くないと思われていると思いますし、僕も良くないと思っています。しかし、もしかしたらうまく使ったら良い方向に向かうことができるのではないかと思いたちいろいろと考えてみました。

1.怒りがなぜいけないと言われているのか

怒りには、その対象によって何パターンかあると思います。ここでは、自己への怒りと他者への怒りという2つのパターンを見てみたいと思います。

他者への怒りはあまり良い結果を生まないような気がしているのです。なぜならば、他者に対して怒るということを考えると、自分のコントロールできないところに対して感情を特に負の感情を持っているということですね。すると、自分でコントロールできないのにコントロールしようとするわけです。すると他者との違いというものがあるため、そのところで大小ありますが、軋轢が生じるのです。

大きくなれば喧嘩したりそこから怪我に発展してしまったりという具合に良くない方向に進む可能性が高くなるのです。お互いに怪我したり良くない思いを持つことはやっぱり良くないですよね。となると、怒りは良くないという結論に至るわけです。これが、良くないと言われる所以だと解釈しています。

2.怒りによいパターンはないのか?

では、良いパターンとはどのようなものかを考えてみましょう。それは、自己への怒りというものでないかと思うのです。これについては自分ですので、コントロールすることが可能なわけです。こんなこともできないのかとかこの人にこんなことを言ってしまった。はたまたしてしまった。などなど。また、言われたことできなかったから怒られた。なぜ出来なかったのか。言ったような反省に近い怒り。それが実はよい結果を生むのではないかと思うのです。そこには、改善に向けた意識を持つことが可能です。日々努力もします。他者への怒りに比べたら、随分負の要素もありません。怪我もありません。喧嘩もありません。自分での自分の行動を変えようとするわけですから成長に繋がると思うのです。するとできることが多くなってくる。

どうですか?良いことばかりな気がしませんか?少し行き過ぎると自分が辛くなると思うので、適度な感じがいいと思うのですが、これが、怒りにも良い面があるのではないかと思うところなのです。

3.まとめ

怒りは本当は精神的にも肉体的にもあまりよいものではありません。一説によると怒りによって免疫が落ちて、戻ってくるまでに何時間かかかるとか。

これって、自分にとってはメリットでも何でもないです。しかし、これをうまく使って成長することができれば、どうでしょうか?できることが多くなってきたらどうですか?つまり、一般的に良くないと言われているものでも見方を変えたり考え方を変えれば、もしくはうまく付き合えば良い方向に向かっていくことができると思うのです。

もし、良くないことにとらわれてしまっている場合には、難しいんですけれども、別の観点で物事を見てみるのもいいのではないかと思います。

では、今日はこのあたりで。