人のやるべきことってなんだろう?

人がやるべきことはなんだろうと常々思います。でも、人のやるべきことって人それぞれですよね。僕は個人的にそう思います。だから、人がやっていることにあまり口出しする気もないし、口出しするべきではないと僕自身は思っています。

では、なぜこのタイトルで書きだしたかというと、やるべきことは人それぞれですし、それが使命と言われるものに繋がることもあると思いますが、自分で見つけていかなければいけないと思っています。そして、そこにたどり着くまでの道のり、たどり着いてから実現するまでの道のり、実現してからの道のりは、なんとなく似たりよったりなのではないかと思えるのです。

僕は使命というものにたどり着くための道のりというか考え方を今まで本とかで学んできて自分なりに再構成をしてわかりやすくしたものを皆さんにお伝えしたいという気持ちが強くなりました。この考え方は、僕の考えも入り込んでしまい、もしかしたら間違っているかもしれませんが、世の中の成り立ちをわかったうえで、自分はその中で何をしていけばよいのかを考えるきっかけになればいいなと思います。

僕が使命というものに考えが至ったのは金持ちの考え方を知りたいと思っていろいろな本をあさったり、いろいろな情報に触れている時でした。このブログでもよく話題に出しますが、ビジョンクエストというキーワードにたどり着き、そこで、自分の今までの生きてきた人生を振り返り、感謝をすると同時に今後自分がその感謝への恩返しに何をするかを考えるという話を聞いた時になんとなく腹落ちしました。これが生きている意味を見つけるということでやはり自分で見つけていかなければいけないんだと気付かされた瞬間です。

まだまだ僕は自分の使命を探している途中のような気がしますが、僕の中では、自分の学びの中で得られたことをお伝えすることで、他の人の(このブログを読んでいるあなたの)成長に貢献できたらいいなぁという思いが与えられています。

今日は、僕がこのブログを続ける理由を書いてみました。あなたもあなたがやろうとしていることがあると思いますが、自分と会話を続けることによって本当にそれを行うべきかどうかがわかってくると思います。また、周りの状況もやるべきであれば整えられていくしやめたほうが良ければ道は閉ざされるようになります。

この人生をどう生きるかはそれこそ自己責任の範疇になってきますが、より有意義な人生を送っていただきたいなぁと心から思っています。

では、今日はこのあたりで。

 

 

 

【読了】ラストレシピ

ラストレシピを読みました。映画にもなっていますよね。1年ほど前でしょうか。本屋で見てからずっと読みたいと思っていたのですが、先日セールをやっていて安くなっていたので、購入して読みました。

まず、読みやすかったです。詰まることもなく、考えこませるようなこともなく。かと言ってつまらないというのではなく程よく謎が散りばめられている感じ。なかなかこのような本には出会えないです。

話の内容は、レシピを中心とした人間模様をうまく描いているそんなお話。レシピに隠された陰謀とその裏にある人間味とがうまく絡み合い最後まで惹きつけて離さないそんな感じで、とてもうまく設計されたと表現してよいかわからないですけど、読み終わった後の感じがすごく気持ちが良いものです。

こうなったら、映画も見てみたいと思いました。まだ、映画が公開されているのかわからないですけど、DVDが出たら見てみようかと思います。

 

先延ばしって本当に問題があるかもー昔から言われることー

昔から「今日できること、今日やるべきことは今日やること」と言われていました。個人的に本当のところは理解できていなかったんです。大人になってその理由がわかるようになったので、ここでその理由を書いてみたいと思います。

実は、当たり前のことですから少し恥ずかしいのですが。

1.今日やることはどのように決まるのか

今日やることはどのように決まるのでしょうか?これは、自分が将来どうなりたいのかというところから決まってくるのです。長期目標、その長期目標を達成するための中期目標、中期目標を達成するための短期目標と目標が決まってきます。そして、短期目標が決まれば、それに向かって何をしていくかを1ヶ月、1週間、1日と作業項目が決まっていくのです。これは、プロジェクトを進めていくうえでも大事なことで、どこでも行われていることです。

このように1日のやることリストはできるのです。

2.今日やることができないとどうなるのか

今日やることがどのように決められるかを考えると今日やることができなかった場合の問題点が見えてきます。

つまり、今日やれなければ、明日やらなければいけません。ということは翌日は前日分のやることができてくるわけですから目標に達成することが難しくなるわけです。通常のプロジェクトであれば、そのリスクも込で計画を立てますし、遅れそうならば、再計画や人を投入したりします。しかし、個人的なことでは自分一人で行わなければいけないのですから、今日やることができなかった場合のリスクは大変大きいということがわかります。

3.まとめ

目標を達成するには今日やることはやはり今日やらなければなかなか達成が難しくなりそうです。達成できたとしてもどんどん後に伸びていきます。先延ばしにすると自分のほしい結果も先延ばしになるということですね。

昔理解できなかったことが大人になってようやく理解できたということになります。仕事を通して感じたことや本で学んで感じたこと、そして子供の成長を見て感じたことを総合するとこのように考えるに至りました。

みなさんも将来こうなりたいなという思いがあると思いますが、その思いをベースにしていろいろやることを考えてみてはいかがでしょうか?

 

物の見方が変わることの面白さーあなたの人生の物語からー

先日、「あなたの人生の物語」というお話を読みました。これは、映画「メッセージ」の原作で宇宙人とのやり取りを通して物語が進んでいくというものです。映画は見ておりませんが、このお話を読んでとてもおもしろかったのであなたにもお伝えしようと思いました。

このお話は、ある言語学者の人が宇宙人の言葉を理解していくことによってものの見方が変わり、その後の人生の受け取り方が変わっていくというお話でした。お話の構成も面白くて、娘さんとのお話がメインのストーリーの途中に差し込まれていて不思議な感じな本です。実はなかなか難しい部類の本に入るのかもしれませんね。

興味を持たれた方は、映画や本を読んでみてもらえたらこの不思議な感じを共有できてうれしいなぁと思います。

さて、このお話から僕が受けた印象というか考えさせられたことは、タイトルにも書きましたが物の見方が変わることによる起こってくる事象の受け取り方が変わり、その後の人生に大きな変化をもたらすということでした。

これは、常々思っていたことです。ある事象が起こった時に人は2つの受け取り方をすると思うんです。よいイメージで受け取る場合と悪いイメージで受け取る場合。これはすごくざっくりしているのでなかなか当てはまらない場合もあるかもしれません。悪いイメージで受け止めざるを得ない状況とかもあると思いますしね。

ただ、根底にあるものがポジティブかネガティブかで変わってくるなぁと思うのは僕だけではないのではないでしょうか?かといって全部をポジティブ思考で受け止めろと言っているのではありません。その事象が起こったのはなぜかと考えてみると自然と良いイメージで受け止められるのではないかと思うのです。そしてその判断の中には、自分中心ではなくもっと広い全体的なバランスを考慮に入れるとかなり良いイメージで受け止められるようになってくると思うのです。しかし、これは簡単なことではありません。なぜなら、自分にはマイナスのことが起こったとしても、それが他の人が成長するためだったりするかもしれないからです。

そこが人生の面白いところでもあり、難しいところでもあるのですが。

冒頭の映画やお話はここにつうヅル様な気がしてなりません。

あなたはどのように感じますか?

幸せになるために必要なことーパイレーツオブカリビアンからー

先日、パイレーツ・オブ・カリビアンの最新作がDVDで届きましたので、それを見ました。映画としてとても良く出来ていてすごく楽しめました。もともとこのシリーズはすごく好きで最初のものからすべてDVDを購入して見ています。見ていてあることに気づいたので、今日はその話をしたいと思います。

1.なんだかジャックに敵対する人って共通点があるような

楽しみながら見た映画ですけど、よくよく考えてみたらジャックに敵対する人の共通点ってあるなぁと感じました。なんだか憎しみとかを持っているんですよね。そのためなのかよくわかりませんが亡霊というかそのようなものになっているような気がするのです。

最初はとても良い人だった気がするんです。デービージョーンズも今回の人も。

そこから考えるに、憎しみって本人にとってもとてもつらいものだよなぁと感じるんです。そこにあるのは、恐怖だったり恐れだったりするような気がします。それをある形で刺激されると憎しみや怒りに変換されて増幅されていく。そんな気がするんですね。するとそれに侵されて思考も変化していく。

それがあの形になっていっている気がどうしてもするんです。これは、映画の中だけではなく現実にしてもそうなんではないかと。

2.それに対してジャックの姿勢って

それに対してジャックってどうでしょうか。悪びれもせず、逃げているのが見て取れますよね。まあ、幸せかといえばどうかはわかりませんが、少なくとも自分の人生を桜花しているようには見えます。

ここからは想像ですが、ジャックとしては自分を認めてその自分とうまく付き合っているのではないでしょうか。その時々でアイデアを出して苦難を乗り切って行き、それによって自分の人生を崩さない。

ここから学ぶべきところは、どんな状況に陥っても自分のこととして捉えてなんとかしようとする姿勢ではないでしょうか。

3.つまるところここから学べること

僕は、この映画から上記のようなことを感じました。そして、更に考えを進めて幸せに生きることとは何かということを考えてみました。

実は、人の根底にある恐れの対局にあるものそれは感謝ではないかと思うのです。

感謝はしようと思えば、どれだけでもできると思うのです。それに伴っていろいろなものを手放さなければいけない局面も出てくるとは思いますけど。その時に、恐れを克服することによって自分の中に感謝が湧き上がってきて、良いもので満たされると思うのです。

このように書いていますが、実際感謝することはとてもむずかしいです。そこに焦点をおいて生活している人でもまだまだ究極の感謝体質にまでいけていないと言っています。

実際に難しいんだと思います。でも、究極の感謝体質を目指すこと自体を否定しませんし、そのようになれたらと思いもしますが、それよりもまず第一歩を踏み出し、楽しい気持ちを持てたらいいのではないかと思うのです。きっと感謝を心に持てていたら気分が楽しくなってくるのではないかと予想しています。

 

あなたは、どう考えますか?

日々の小さなクエストに続くビジョンクエスト

あなたは、ビジョンクエストというものをご存知ですか?僕は、最初は海外の人のブログだったかセミナー音声だったかで聞いたことがあるのと本で読んだことがあります。その2つは同じことを言っていました。今日は、そのビジョンクエストについてのお話とそれができない人はどうするとよいのかという話をしてみたいと思います。

1.ビジョンクエストとは何か

僕がこのビジョンクエストという言葉と出会ったのは先程もお伝えしたとおり、セミナー音声と本(「ユダヤ人大富豪の教え」本田健さん著)の記述からです。そこからビジョンクエストというのはどういうものかということを僕なりに解釈すると生きることの意味といううか使命というかを理解するために行うものと捉えました。

その2つの情報源では外部とのつながりを経つために大自然の中に行き(もちろん携帯なしで)、一人自分と向き合い過去、今、これからを考えることによって自分の生きていく方向性を見つけるというような感じだったと思います。その過程にはいろいろと流れがあるのでしょうけど、感謝が生まれてくるとそこから何かが見えてくるらしいという印象を受けました。

僕自身はこのような時間を取ることができにくいので、まだ実践できていませんが機会があればぜひやりたいと思っています。

さて、これを読んで思った人もいるかもしれませんが、なんとなく内観というものに似ているような気がしますね。僕もそう思いました。

2.ビジョンクエストが何かを考えると見えてくるもの

ビジョンクエストが先に書いたようなものであるとすると、自分の人生のビジョンを見つけるものということになります。であればわざわざ大自然の中に行く必要があるのかという疑問に突き当たりますね。もちろんあるんだと思います。これも僕なりの解釈ですが、都会とか人が多くいるところでは自分と向き合うというビジョンクエストを行えるかといえばなかなか行えるものではないと思うのです。

静かな夜でも車の走っている音はしますし、テレビの音やそれこそ道を歩いている人の声話し声家族から呼びかけられるとかいろいろありますよね。だからこその外界との遮断がある方がいいと思うのです。

しかし、これが有効でこれからの自分の人生を大きく変えるとわかっていても日々の生活を投げ出してそれをできるかといえばなかなかできないのも事実です。そこで、ビジョンクエストほど強烈なしかも明確な人生のビジョンを得られないまでもせめて思考をそちらに寄せることができないかと考えてみました。

3.日々の小さなクエストたちの積み重ね

クエストは僕の造語というか僕が勝手に使っているので他では使わないでくださいね。僕は日々の生活の中で自分と向き合う時間、そして自分の人生について考える時間を少しだけ持つことで将来持つであろうビジョンクエストを行った時により早くより明確にビジョンが与えられるような気がしてきたのです。

もちろん、自分と向き合う時間の中では、過去自分が育ってきた中で何が合ったのかを思い出す時間や日々の出来事を振り返って自分について考えを深めていくことを行います。

自分の人生について考える時間では、自分が今後何をしていくのかを考えることを中心に世界のことに思いを馳せるのもよいかもしれません。

そして何よりこれを行うために、様々なジャンルの本を読み様々な人と出会い、会話していろいろなことを考える癖、いろいろなことを見つめる癖、ひとつの出来事を多角的に見る癖を持つようにすることを日々の中で行うといいのではないでしょうか。

実は、最近の僕の出来事でも似たようなことがありました。ビジネスのオーディオトレーニングのサービスを受けているのですが、今年でやめようとしたんです。でも連絡期間を過ぎて自動更新されてしまったことになりました。残念と思う自分とその反面ラッキーと思う自分がいます。後一年お付き合いしてみようと思ったんです。これも何かの縁。きっと自分に益になると。

人から見たらただ単に自分の解約ミスですが、なんとなく縁に思えてしまうんですよね。

 

さて、あなたも日々の生活の中で様々なことが起こると思いますが、その一つ一つをどのように活かすかはアナタ次第です。小さなことを少しずつ積み重ねながら最終的に大きな成果を得ようではありませんか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

自己責任に繋がる思い

自己責任について2回ほど記事を書きました。

自己責任の使い方について

自己責任という言葉を使うとき

今回は、更に自分の思いが自己責任と繋がるということを考えてみたいと思います。

1.前提について

思いというのは、人生においてどういう作用をするのかということをまず考えてみたいと思います。これは、実は前にも書きましたが、「原因と結果の法則」の中にも書かれていますが、よい思いは、良い結果を生み出し、悪い思いというのは悪い結果を生み出すということが書かれています。図式としては以下のような感じになるのではないでしょうか。

思い→原因→行動→結果

ここで、「原因と結果の法則」の中では、原因と結果にピックアップして書かれていますが、ここでは思い→行動という点に焦点を当ててみたいと思います。行動から様々な影響がいろいろなところに波及し、結果として現れてくるとだけここでは理解してください。

2.行動に繋がる思い

思いには、2種類あります。それは先程も書きましたが、良い思いと悪い思いです。何を基準に良い悪いと判断するかはなかなか難しいところではあります。なぜなら、基準はその人の生きてきた背景で作られるからです。そこでここでは、「原因と結果の法則」を基準として考えてみると、なんとなく答えが見えてくるような気がします。良い思い、悪い思いそれぞれ6個ずつをあげていますが、ここでその12個を書いてみます。

<良い思い>

  • 気高い思い
  • 清らかな思い
  • 勇気と信念に満ちた思い
  • 活気にあふれた思い
  • 好意的で寛容な思い
  • 愛に満ちた思い

<悪い思い>

  • 動物的な思い
  • あらゆる種類の汚れた思い
  • 恐怖や疑いに満ちた思い
  • 怠け心
  • 敵意に満ちた意地悪な思い
  • あらゆる利己的な思い

いかがですか?やっぱりちょっとわかりにくいですか。なんとなく抽象的ですよね。でもこれが結構的を得ているような気がします。では、もっと根本に迫ってみたいと思います。

3.悪い思いから出る行動

悪い思いのほうが少し理解しやすいと思いますので、まず、悪い思いの原点から探ってみましょう。あなたは、何が悪い思いの原点だと思いますか?上記悪い思いのリストを見てみて、なぜそのような思いを持ってしまうのか。それは、将来にある恐怖から来るのではないでしょうか?将来ちゃんと生活出来ているのかとかお金が稼げなくなってしまったらどうしようとか今の生活が送れなくなってしまったらとかそんな不安や恐怖があるとどうしても悪い思いにつながっていくと思うんです。このような恐怖や不安には余裕があまり感じられませんね。その思いから出る行動はどうしてもそれに切羽詰まったものになり、悪い思いに則ったものになります。

上記リストにある思いから出る行動は、どうしても悪い方に向かうような行動になっていってしまいます。そこには、良い思いから出る行動とは正反対のものになりますから同じ行動をしても結果は違います。一時は同じでも最終的には分かれていくのです。

この悪い思いの行動には自己責任という認識はありません。ですから結果を見てなぜ自分がこんなことにならなければいけないんだという気持ちが湧き出るのです。

4.良い思いから出る行動

それに対して良い思いの原点はなんでしょうか?僕は寛容ではないかと思うのです。寛容な思いはまず赦しがあり、感謝があり、なんとなく余裕があるような気がしませんか。そこから出てくる思いからは良い行動につながっていくと思うのです。

良い思いから出た行動には自己責任という認識のもとにあるように感じます。その行動によって起こったことについては他人を責めることが無いような気がするのは僕だけでしょうか?

5.行動から結果へ

今見てきた行動はすべてその行動に沿った結果が出てきます。よい思い、よい行動にはそれに即した良い結果が、悪い思い、悪い行動には悪い結果が出てくるのです。ここでいう結果とは最終的なものです。最終的というものがどの時点ということは言えませんし、直接的でなくてわかりにくいものかもしれません。何がどうつながっているのかを理解することは人間にはなかなか困難なものだからです。

だから、もし状況が悪いとかなんだか腑に落ちないとかなんだか悪い状況が周りに近づいてきたら立ち止まって本当の原因はどこかを考えてみるのがいいかと思います。

あなたは、どう感じますか?

 

 

 

今日僕の人生に入ってきた本ーみんなが味方になるすごい秘密ー

いろいろなところで書いているのでここでも書いたかどうか忘れてしまいましたが、僕は電子書籍を読むようになりました。ひとつの理由は、電子書籍だとセールをしている時があって、安く手に入ることがあります。結構掘り出し物あるんですよ。大体そういう時に買うんですが、今日もそんなセールをしていた本の中から一つとても印象深い本を購入したので、紹介したいと思います。

この記事では、まず本に対する僕の考えを書いてから実際にどんな本と出会ったかというお話をします。

1.本に対する考え方

本との出会いは人との出会いに似ています。その時々で必要な本がやってくるんですね。本屋に行ってもその時の自分に合った本が目に飛び込んでくるなんてこともザラですし、購入したい本を買いにいって別の本を買ってくるということもありますが、それなんて本が僕に語りかけていると思うんです。そして、その時を逃すとなかなか手に入らないなんてこともありますよね。

そう考えるようになってからはできるだけその時の感性で本を購入するようにしています。それは、電子書籍を読むようになってからも同じです。電子書籍ならいつでも購入できそうですが、ほしい本リストに入れたらそれで満足ではないですが、時が過ぎていって結局購入まで至らないというのはよくある話。結局その本とは縁がなかったということになりそうな感じです。

そう考えると本屋に行くのが楽しくてしょうがないですし、電子書籍のサイトを見るのもとてもおもしろいです。そんな本に対する思いを持ちながら生活していますが、何気なくタイトルで買った本で目次を見たらとてもおもしろいし、今まで読んできた中でも個人的に好きな内容の本と似ているような本と今日は出会ってしまったので、ここに紹介します。

2.「みんなが味方になるすごい秘密」

これがセールで売ってたんですね。まあ、どれだけのセールかは言いませんが、購入しました。なんだかタイトルだけ見たらちょっと行動の指針を書いてある本かと思ったんですが、目次を見てちょっとあたりかもと思ってしまいました。

そうそう、セール中の本の僕の購入ルールですが、基本的には内容を見ません。タイトルと本の紹介ぐらいで購入するかどうするか決めます。なので、当たり外れがあるのはご愛嬌と思っています。まあ、セールですからお得ですし、こんな時じゃないと買わないかと思うような本も購入対象になります。ちょっとした闇鍋気分。ルーレット気分。ドキドキ感。なんか楽しいくなってくるんですよね。この購入方法。買った時はイマイチでもきっと後で肥やしになりますからね。

さて、そんな感じで今回の本も購入して前述のような感じでワクワクドキドキしてしまう内容ぽいなと思った次第です。

実はまだ内容読んでいないんですけど、このワクワクドキドキとあたった感をお伝えしたくてつい書いてしまいました。

あなたもぜひこの本手にとって読んでみてください。あなたなりの感じ方があると思います。僕はこれからここに書かれている内容を咀嚼しながら読書を楽しむことにします。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

自己責任という生き方

先日、自己責任という言葉は使うべきではないなぁという記事を書きました。

参考:自己責任ということは何を意味するのか

よくよく考えてみてこれは他人に使う場合のことではないかと思うようになりました。

では、他人に対して使うのはあまりにも愛がないとは言え、自分に対して使う場合にはどうなのだろうかということを考えてみてみたいと思います。

 

1.自己責任という生き方

自己責任という生き方をしてみようと考えてみた時に、言葉の通り自分の行動に責任を持つということです。つまりはその行動によって起こった事象は自分が管理しているということです。いいことも悪いことも自分がすべて受け止めるということ。

では、もっと深く考えてみて、自己責任を持つにはどうするべきなのかといえば、目標を持つこと、ビジョンを持つこと、将来に希望を持つことではないかと思うのです。

いくら自己責任だからといって自分が他人に悪影響を与えてよいかといえばそうではないと僕は考えます。せっかくならみんなが幸せな世の中にしたい。であれば、その世の中を幸せにしたいという目標、ビジョン、希望を実現するためにはどう行動していくのかを決めていく。いつもの自分の行動規範にまで落とし込んで自分が自然に振る舞えるように心に刻みこむ。それが自己責任という生き方をすることに繋がるのではないかと思うのです。

ここで書いたことはあくまでも例ですので、あなたが目指したい目標などがあればそれに向かって生きていければいいのではないかと思います。

2.人生に目標を持つことの重要性

これは実は人生をより良く生きることに繋がることは読んでいただければ解ると思います。ただ、これだけではなかなか自己責任ということを体現できるかといえばそうではないと個人的に感じているのです。こう書いている僕もまだまだ全然です。入り口に立っているのかどうかも怪しいです。なぜなら、ここまで出来るようになるには精神的な成長、成熟した精神性というものが必要になってくるだろうと思えるからです。

しかし、できないというわけではありません。それに向かって、目指して訓練していけばそこの道にたどり着けるように成っているのです。動きさえすれば目指しさえすれば。ここで人間の悲しい性ですが、その時の自分の精神性がそれを受け取れるかどうかによって受け取ろうとするのか取りこぼしてしまうのかは決まります。チャンスは何度もあるので落胆することはありません。ただその時ではなかったというだけのこと。

そこで、人生に目標を持つということはどのような意味においてもとても重要であると思うのです。

それがあって、自己責任において行動していくことができるようになり、人生が形作られていくのです。もし、つらいことや悲しいことがあったとしてもそこから何か学び取り他の人に良い影響を与えていければそれは人生の肥やしになり、醍醐味となり生きる楽しみとなるのです。

 

あなたも自分自身で自己責任という生き方をしてみるのもよいかもしれません。

 

自己責任ということは何を意味するのか

少し前によくテレビでも「自己責任」という言葉が流れていましたね。実はこの言葉あまり使うべきではないんじゃないかと最近思うようになりました。なぜかといえば、この言葉で大体のことが片付いてしまうような気がしてしまったのです。そして、結構冷たい感じがするというか深く考えると何もできなくなるようなそんな危険性をはらんでいるような…

そこで、この記事を書こうかずっと悩んでいましたが、思ってしまったことですし、書いてしまおうと決意して今日に至ったわけです。なので、これを読んでもひとつの考えであると思って読んでみてもらえれば幸いだと思います。

それでは、自己責任ということがどういうことなのか、どうして使うべきではないのかを書いていってみたいと思います。

 

1.この記事の前提とする背景

ジェームズ・アレンさんの「原因と結果の法則」に多分の影響を受けています。そのため、原因→結果というつながりを意識しているため、行動も発する言葉も思いもそれが原因であれば、自ずとその後の事象に繋がるということを念頭に置いています。これには、自分のみならず自分と関わりのある他人も更にはその背景、成長の過程なども含めて考えて書いていますので、ご理解の程よろしくお願いいたします。

2.「自己責任」の意味

(1)一般的に言えること

自己責任の意味を調べてみました。興味があればご自身でも調べてみてください。僕が調べた限りでは、「自分の行動による影響は自分で責任を取るということ。その内容には他人は一切関わりを持たない」ということです。

(2)個人的に考えること

僕は行動だけではなく、言葉も思いもそこに含まれると思っています。そして、それに影響されるもの、例えば話をする相手とか世話をしているペットとかそのようなものにどのように接するかということも更にどのように今まで生きてきたかということも考えたうえでの行動が言葉が思いが必要であってそれに責任を持つべきなのではないかと考えるようになったのです。

これには、前述の背景のみならず自己啓発書などにも書かれていると思いますが、「変えることができるのは自分のみである。他人を変えることは難しく、不可能に近い。」という考えに基づいているものです。これは、実は自己責任に繋がる考えだと思っています。他人の行動は自分が責任を負うべきではないし、負えるものではないということを暗に示唆しているのではないでしょうか。

自分が行動を起こす、言葉を発するなど相手に影響を与える行動をしたあとに、それを受け取った相手がどのような行動を起こすのかということをある程度は予想をすべきではないのかなと思うのです。だから行動をした後にどのようになるのかはその行動を起こした人の責任となるような気がするのです。

もし、人と人が話をしている場合にはこれが交互に行われます。

・Aさんが言葉を発する → Bさんがどう受け取りどう行動するかはある程度予想

・Bさんが言葉を受け取る → Bさんの中で噛み砕き

・Bさんが言葉を発する。 → Aさんがどう受け取りどう行動するかはある程度予想

これの繰り返しです。

つまり、このように考えると自己責任とは今に始まったことではなくずっとむかしから自分たちの中で意識しなくても普通にやれていたことであるとおもうのですが、最近はこの流れにうまく乗れない人たちも出てきたような気がします。もしかしたら僕もそうかもしれません。これは誰が悪いというのでもなく、劣ったとかそういうのでもなく、時代がそうなるようになってしまっているというのが僕の考えです。

ですから、今の時代を生きるときには昔は考えなくても良かったことを少しだけ考えるだけでずっと暮らしやすくなるような気がします。

 

3.「自己責任」のどこに引っかかりを覚えるか

これは、もうすでに述べているのですが、自己責任ということは考えれば考えるほど範囲が広くかなりのことをこの言葉で片付けることができるような気がするのです。これが僕がひっかかっていることです。しかし、これによって片付けていいこと悪いことってあると思うんです。だからこそ、極力使わないほうがいいんではないかと思うのです。

昔は考えなくても良かった自己責任がなぜ今考えなければいけなくなってきたかということに触れてこの記事を締めたいと思います。

<自己責任を考えなければいけない理由>

(1)時代背景

昔:大家族、村(組織の中で育つ)、一致団結

今:核家族、個(組織という認識が薄い)、個人プレー

(2)ルールというものに対する認識

昔は、時代背景にも書きましたが、大家族で村で育ちます。子育ても村全体でするようなイメージで、お隣さんからも叱られて当たり前です。すると、地域のルールによって生活する癖がつきますし、反省の仕方も学ぶことができます。これが学校でも家庭でもそれこそ村を歩いている時ですらそうだったかもしれません。つまり、共通のルールが染み込みますので、他の人に注意をされても反省し、自分で行動を正すことができますので、自己責任を意識せずともうまく立ちまわることができるようになります。

今は、核家族で鍵っ子も多いかもしれません。子育てといえば家庭の中で行います。地域との関わりもそんなに濃くはないのではないでしょうか。このようなことから考えると共通ルールというものを持ちにくい状況になります。他人に注意され慣れていないことのゆえに自分の感情に惑わされるのではないでしょうか。こうなってくると他人に注意すること自体が危険なことのように感じます。そこに自己責任を意識しなければいけない理由が出てくるのです。

これは、ビジネスにおいても同じことで知らない分野や知らない顧客にアタックしていくのが危険なことです。始めるのであれば、相手を知るところからはじめなければいけません。知らない人にどんな言葉でどんな態度で接すればいいかということを考えるべきだよなぁと思うのです。

あなたは、どのように感じますか?