言葉って面白い~表の意味と裏の意味~

秋になりましたね。最近朝や夜は過ごしやすくなってきたのではないでしょうか。
僕の住んでいるところも夜は寒いぐらいです。

最近は本当に言葉や文字などに興味が出てきてですね。
いろいろなことを考えています。
特に僕は都市伝説の部類に入る日ユ道祖論的なお話ってロマンがあって
好きなんですよね。

まあ、これに限った話ではないですよ。
古代の文明の話、特に日本の昔の時代。縄文時代にも興味があります。
争いがなかったとは言いませんが、縄文時代3000年は平和であったといわれています。
そんな平和な縄文時代に思いを馳せたりしますが、今日はそちらの話ではなく
言葉について考えてみたいと思います。

日本には、言霊という言葉がありますよね。
実は、これはキリスト教にも通じるところがあって、
聖書の中に言葉は神であったなんてことが書かれてたりします。
ちょっと誤解を招きそうなので、このあたりにしておきますが、
興味がある方は聖書を読んだり、近くの教会に行ってみてもいいのではないかと思います。

さて、ここで話題にするのは、日本語とヘブライ語がとても
似ている言語であるということです。
どうやら、言葉の意味も結構近いものがあったりするらしいんですよね。
なんだか不思議な感じがします。

日本の童謡やわらべ歌、国歌などもヘブライ語で解釈することが
できるらしいんですね。
日本語は同音異義語ってありますよね。あれに似て
日本語でこういう意味だけど、ヘブライ語ではこういう意味って
いうことらしいんですよね。
詳しくは、以下の動画見てみてもらうと楽しいかと思います。
不思議な感覚が味わえますよ。
「かごめかごめ」「君が代」ヘブライ語から読み解く、日本と失われた古代イスラエル民族との関係!【改訂版】

カバラの教えというのがイスラエルにはあるそうで。
聖書に書かれている表の意味の裏には、カバラ的に解釈すると出てくる
ことというものがあるみたいです。
そのため、カバラは書物などではなく口伝で伝えているとか。
なかなか世に出にくい情報ですよね。

世の中には知らないことが多いですが、意外に身近なところに
隠れているものがあるんだなぁと感じた次第です。

あなたはどのように感じますか。

人生の指針となる考え方~不平・不満が出ない生き方~

昨年からコロナで世の中がいろいろと騒がしくなってますね。
今年に入ってからは、ワクチンも加わり、接種する人、しない・できない人
といった感じで世の中が2分されているような感じにもなってきました。

ここでは、こんな状況だからこそ今一度人生について
考えてみるということをしてみると何か気づきが与えられるかもしれません。
お時間があれば、少しだけお付き合いくださいね。

さて、このブログについては、自分の人生を生きるをテーマにして
書いている記事があります。ここでもその考え方を基軸にお話を
進めていきます。

人は生きていれば人生について考える機会ってありますよね。
あなたにとって人生はどのようなものでしょうか。
どのように生きていますか。

僕は人生は、自分が生きてきた、そして生きていく道そのもののではないか
と思ってるんです。
その道を考えてきたとき、自分というものがどこにあるのかというのって
結構大事なことなんじゃないかなぁと思えてきたんですよね。
それによってその人生は誰のものなのかってことが決まってくるように感じているんです。

そこで、僕は自分の人生ということについて考えるようになった次第ですが、
この人生において自分がどの位置にいるのかということで
人生が誰のものかが決まってくるんです。
もちろん、真ん中にあれば自分のものですよね。
自分を真ん中に置くということは、人生に起きるすべてにおいて自分が
決定権を持っているんだということを認識すること。
それによっておこるすべてのことは誰かのせいではなく、自分が決めたことに
よっておこったこと。つまり、自分の責任として処理すること。
これを知るってことだと思うんですよね。

自分の人生を生きるということは、前からも言ってますが自分勝手に
生きることではありません。
自分に不利になることでさえも自分に納得の上で実施する。
納得できないのであれば、やらない。
ということなんです。
行ってみれば、自分の腹に落ちている状態。納得している状態で
人生を生きる。それが自分の人生を生きること。
だから、自分が嫌だと思っててもやると決めたらやり抜く。
これが大事ですよね。

ここまでできるようになると不平・不満って出なくなるんです。
なぜなら納得済みであり、織り込み済みだから。

ということで、ワクチン打つか打たないかは自分の中で
納得できるかできないかで決めればよくて、
その結果発生することは自分が決めたことだから、
その人生を歩んでいくと決めていけばよいのだと
思うんですよね。

それがしにくい世の中になりつつあるがゆえに余計に
そう感じているのは僕だけでしょうか。

皆さんはいかがお考えでしょうか。

<参考>
自分との対話をしながら自分の人生を生きると起きることーその1

コロナのおかげで知ったこと~超過死亡数~

2020年1月頃から始まったコロナで僕が知ったことがあります。

いろいろな方が感染され、今までの生活が一変し、
後遺症に苦しむ方がおられ、そのうちに超短期でワクチンが
開発から承認までされて世界中の人々に打たれました。
日々、新しい状況が出てきて、新しいデータが出てきて
ワクチンの効果もなんとなく見えてきつつ、
ワクチンの副反応のこともありつつ、
正体どうなるのかがわからない日々が続いています。

こんな中でも何かしら新しいことを知ることがあるんですよね。
今まで50年弱生きてきましたが、このことを知ったのは今回が初めてです。

それは、超過死亡数という言葉です。

毎年、政府は亡くなられた方の統計を取って公表するんだそうですね。
これはこれですごいなぁと思ったんですよね。

昨年は、これが下がったといううわさも聞きつつ、ワクチン接種開始後
からこの超過死亡数がどうなるのかといわれていた方がいたんです。
これはあくまでも一つの指標に過ぎないので、これだけで何かを語ることは
ちょっと難しいというか逆にこの指標だけで何かを判断することは
ちょっと乱暴だと思いますので、そのようなことはしないと思いますけど、
これがどのように今後推移していくかというのは少し気になる
指標ですよね。

人間は老いていずれは亡くなるのですから、一定数亡くなられているのは
当然といえば当然ですよね。
それを国が管理して統計として公表していることが驚きだったんです。
よく考えたら当然といえば当然なのかもしれませんよね。

こんな小さなことも新しい発見としてあったので、
ほかにも何か新しいことを知るチャンスかもしれません。

特に最近は国という単位ではなくコロナということで
世界が大きく2つに分かれているような気がしてならないんですよね。
人類がいろいろな意味で乗り越えて成長していかなければいけない
出来事であることは事実のような気がします。

皆さんはどのように感じるでしょうか。

ここまでおよみいただきありがとうございます。

占いや予言といったものについて

あなたは、占いや予言って信じますか。

きっと信じる人もいると思うし、信じない人もいると思います。
僕は、あまり意味をなさないような気がするので信じるとか
いったレベルのものではないと思っているんです。

そこで、今日はなぜそのように思うのかをお伝えしたいと思います。

お時間がありましたらお付き合いください。

1.この世の中に存在するもの
まず、考えたいのはこの世の中に存在するものについてです。
僕もあなたも肉体を持っていることは事実ですよね。
人間は、肉体のほかに霊というものも持っているんです。
肉体と霊があって人間と認識されるという感じでしょうか。

では、霊だけの存在ってどうでしょうか。
個人的には、霊の存在もあると思っているんです。

この霊だけの存在は普通の人は目に見えないし
感じることがしにくい存在だと思うのです。

2.なぜ、占いや予言をあまり意味がないといえるのか
ここから初めに僕が意味をなさない言った部分に入っていきます。
普通に生活していると普通の人たちには見ることも感じることも
ない存在の霊がいるとした場合、占いで占ってもらったことが
見えない存在の霊によって実現されたとしたらどうでしょうか?
例えば、予言については後付けだったり、かずうちゃパターンだったり
いろいろと策はあるといわれます。

つまり、そういうことです。
占いや予言をすべて否定するつもりはありませんが
目に見えない存在を無視しては語れないこともあるのです。
例えばその存在がどのような意図をもって行動しているかも
はかり知ることができないのです。

だから、あまり意味がないと思うのです。
占いをやってみてもいいのですが、それが
当たっても当たらなくても当然というスタンスが
大事じゃないかな。
このように書いている僕も結構占いを見るのは
エンターテイメントとしては楽しみます。
そこに主軸をおかないので。

3.大事なことは
大事なことは、自分はどうありたいのかということ。
そして、どんなことでも納得したうえで行動すること。
そうすると霊にとっても体にとっても良い効果が得られるのではないか
と僕はそう考えるんですよね。
そうすると悪い作用が起きにくい人生を歩めると思うんです。
納得済みだからマイナスな思いは湧いてきにくい。
逆に視野も広くなっていろいろなことを考えられるように
なると思うんですよね。
このように考えると占いや予言が入り込む余地ってあんまりないんですよ。

<参考>
自分との対話をしながら自分の人生を生きると起きることーその1

皆さんはどう思われますか?

ここまでお読みいただきありがとうございました。

自分との対話をしながら自分の人生を生きると起きることーその1

自分と対話しながら自分の人生を生きる。そこには楽しみと喜びがあり、
安心感がある。

そんな生活をしようと思って頑張っていますが、このように考えていると
世の中で起きてくることがなかなか現実と思えなくなってくるから
とても不思議です。

今であれば、コロナであったり、あらゆる事件であったり。
考えれば考えるほどあまりにも自分が考える現実から離れて思えます。

よくニュースになるコロナになった人のニュース。
もちろん、それを聞くと早く良くなるといいなとか思います。
もちろん、自分もそれにならないことがいいとは思っていますが、
なってしまった場合にはそれはそれで仕方がない。
でも、納得して生きているから(自分の人生を生きるとはそういうことだと思います)
あまり悲観したりしないんですよね。

もちろん、コロナになった場合病院にいって治療が受けられるに
越したことはないですし、皆さんもそう思いますよね。
でも、病床数が少なくて受け入れられない場合には、そんな時もあるだろうと
僕としては考えます。
納得して生きているから、そこにも納得する癖がついているのかもしれません。
もちろん、その時になってみないとどのような心持になるかなんてわからないですけども。

最近ニュースで有名人などは入院できて庶民などは入院できないとか
言っているコメントなどを見ます。
確かにそうかもしれませんね。
今日見たニュースもそのようなものでしたから。
個人的には、そこにあまり気持ちがいかないんですよね。
思うことは先ほど思ったことと同じ。
早く良くなればいいな。です。

最近は昔と違ってよくわからないことが多くありますよね。
昔に比べてだいぶ雑にわからないことが増えてきた感じ。
知らなければ知らないに越したことはないのに、なんとなく感じてしまう
違和感。

多いです。

だからこそ、ほかに振り回されないように自分と向き合って自分の人生
自分が納得して生きる人生を送りたいと思うのです。
そこには、それができるからこその他者への配慮もできるようになってくるのではないか
と期待しながら、日々お祈りして生活しているのです。

皆さんはいかがでしょうか。

まだ自分と会話したことがない人がおられたら実施してみたら
よいのではと思います。
いい暇つぶしにもなりますしおすすめです。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

最近ニュースを見て思う2極化の本当の意味

皆さん、いかがお過ごしですか?

最近もいろいろなニュースがありますね。
雨が降って河川が反乱したり、世界中で地震が多発したり。
今日お話したいことは、災害のニュースを見て感じたわけではなく
人が起こした事件のニュースを見て感じたことを書いてみたいと思います。

・同じ空間にいるのに別の次元の話に感じる
・結局2極化とはなにか
・これからどう生きていくか

これをテーマに話してみたいと思います。

1.同じ空間にいるのに別の次元の話に感じる
これは、昔からも感じることですね。
テレビで見ていてなんか別の世界の話のように感じることは
ありませんか。

僕も昔はテレビでやっているから別の世界のことのように感じていましたが、
最近ではいろいろ本を読んだり知識を得るに至って
テレビで報道されているからとかそういう意味ではなく
精神的な意味での2極化を意識するようになりました。

そのような観点で事件のニュースを見ると、
その事件が本当のことかなにか別のことを隠すための
フェイクなのかはわかりませんが、
本当の意味での別の世界での出来事のように思えてなりません。

これには、ある意味目に見えない世界のことを基準にしていえば
事実であると言えるのかなと思います。

2.結局2極化とはなにか
では、別の世界での出来事とはどのようなことなのか。
どういうことを基準として生きているかって言うことではないでしょうか。
自分のことだけを考えて生きる人と他人のことを考えて生きる人とではなかなか
混じり合うことは難しいのかなぁと感じるんですよね。

最近は8月ということもあり戦時中の話を聞きますが、
日本の中にも他人に思いを馳せて生きていた人もいれば
自分のことを考えて生きていた人もいるのだということを
教えられます。
どちらがいいと言う話ではありません。なぜなら
その人がどう生きるかの話なのでいい悪いはないからです。

その意味で2極化を考えるとたしかに2極化は存在するし
それぞれの世界で生きていると言われれば、なんとなく
納得されるのではないかなぁと思います。

3.これからどう生きていくか
以上を踏まえていろいろと考えていくに
生きていくことは、自分でどんな世界で生きていくかを
決めていくこと。そして自分の思った世界で生きていく
ことができるという事実を知ることができると思います。

ここに焦点を置くといろいろなことにも感謝することが
できるようになってくると思うんですよね。

皆さんはどのように感じますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

人生における視点の変化

このブログでは、人生について語ることが多いです。
それは僕が自分の人生を生きるということについて考察し
皆さんに共有しようという目的でこのブログを書いているからです。

さて、今日は人生における視点の変化ということについて
考えて見たいと思います。
しばらくお付き合いください。

生きているといろいろ考えますよね。何気なく考えていること
実はそれが視点につながると思うのです。
自分のことを振り返ってみると社会人に成りたてのときには
技術のことや収入のことを考えることが多かった気がします。
どうやって収入を増やすかとか新しい技術を見つけようとか
この2つの関係は結構密接で技術があるから給与を要求する
と考えることもあれば、お金無視してユーザに最高のものを
提供しようなんて考えたときもありました。

この場合、ステークホルダ(利害関係者)の関係次第で
考え方が変わりますよね。

で、このようなことを考えていると技術の情報は手に入るし
視点もそちらに向きますから目につきやすくなります。
お金については、会社と交渉したり、転職を考えたり
しますよね。
このような形で僕が成人に成りたての頃は視点、
所謂アンテナはそちらに向いていました。

しばらく働いて30歳を越える頃になると部下をあてがわれます。
その会社では他の会社に入り込んで仕事をすることが多く
部下とも離れ離れで別の仕事をすることが多いんです。
そんな時には部下の状況の確認をしなければと思い、
打ち合わせをするようになります。
すると、自分の仕事感から部下の本当にしたい仕事はなにか
を知りたくなり、キャリアパスとかそういった物を考えるように
なりました。

そもそも、社会人に成りたてのときにはその傾向が有りましたから
キャリアパスについて考え、勉強するようになります。
部下と話をしていても将来についてどうするかとか言ったことを
考えている人はあまり多くないのかもと思いましたので、
そこに視点を向けさせるような会話をして将来について考える
機会を与えるようにしていました。
仕事に追われるとそういったことを考える時間もありませんからね。

ということで、部下がついたことで視点がちょっと広がったんですよね。

今の自分と言えば、このようなことを通して一通り考えて味わい
次の段階にいってる気がします。
つまり、すべてを取っ払って自分の人生を生きるということを
考えるようになってきたので。
一度自分の中に深く潜り込んで何かを見つけ出し、戻ってきて
社会に還元する。
このようなイメージでしょうか。
自分の人生を生きるのは、とても楽であり、社会にも貢献できる
素晴らしい生き方だと思うんですよね。
ただ、自分の人生を生きるというとどういうことかって思ってしまう
のは、そのとおりですが、誤解を恐れずに一言で言えば、世の中の起きてくる
出来事や自分が行うことについて自分が納得して生きるということです。
納得するかどうかは自分しだいですからね。

そして、今僕が持っているアンテナ・思考の方向性などを使って
世の中を見るとすごくきな臭いです。
僕はクリスチャンですからお祈りしていますが、世の中が変わる
そんな雰囲気を感じています。
しかも大きく。

世の中の現状は、実は戦争に入っているに近しい状態と認識
しています。
今の時代の戦争は、情報戦が主な戦場だと思います。
だから意識しないとアンテナをはらないと何が起こっているか
わかりにくいのです。

これから先は皆さんに委ねますが、ネットを見ると
とてもざわついている気がしています。
だからこそ、状況を見守り、その備えをしておく必要があると
思います。

皆さんは、どんな視点で世の中を見ますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

お金について再考

お金について今一度考えてみたいと思います。

以前、お金をテーマにブログを定期的に書いてみようとしたことがあります。
それは、去年のことでなかなか書くことができませんでした。
結局そのままときが過ぎ今年に入ってしまったわけです。

びっくりですね。今年はコロナ一色で生活の仕方が去年とはすっかり様変わりしています。
仕事も在宅が多く、今も週2回の出社となっていてそれ以外は、自宅で仕事をしています。
そんな中なぜお金について書くことができなかったのだろうかと考えてみました。

まず、僕自身があまりお金というものに興味がない可能性があります。
もちろん、生きていく上でお金は必要ですからほしいことはほしいです。
でも、自分の中でお金って「自分の人生を生きる」ということを考えた時に
本質から少し離れている気がしているんです。

では、本質って何かってことになりますよね。
ここでいう本質というのは「自分の人生を生きる」上での本質。
それは、自分が納得して生きていく人生であり、そのような人生の中で
お金というものは本筋ではないと思っているのです。

お金が少なくても納得していれば別に問題になりません。
僕の中では、問題を解決に導くための考察を続けるということが
好きで、その場合にはとても多くの考えが浮かび、沈み、何回も繰り返し
考え、自分のものとなっていきます。
その意味でお金というものが問題になるのは、自分が納得していない場合
であり、解決に向かうためにはお金とそれに見合う価値を提供する
ということで解決できるのです。
そこからの広がりが自分の中で作ることができなかったことが
書き続けることができなかった原因と考えられます。

そして、今の時代お金をどう稼ぐかというよりもどのように生きていくか
を考える方がよりよいように感じるのです。
今の所まだ、お金を稼ぐことを考えていこうかとも思っていますが
それ以上にどのように社会に貢献できるかなぁということを考えて
みることも楽しいだろうし、広がりが出るだろうなぁ。と感じる今日この頃です。

そう、2年前の2018年に9ヶ月ほど連載で書いたように記事を書けるような気がするのです。
実際に書くかどうかはわからないですけど。

僕とお金のおつきあいはそんな感じになっているということです。
お金についてはまだ書きたいこと、書いたほうが良いことがあると思いますが、
いずれ書けるときが来たら書いてみようかと思います。

さて、あなたはお金とどのように付き合いますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

時間の使い方の重要性

今日は、時間の使い方について書いてみたいと思います。

最近は、世の中の動きが激しく感じられていて結構心が騒いだりすることが多くなってきています。
だからこそ、どういうことに時間を使うかということが重要になってくると思うのです。

なぜか。それは、時間の使い方によって今後の人生が変わってくるからです。
このことは多分今までの記事の中にも書かれている内容だと思います。
そして、僕が感じるほどに世の中はかなりの速度で動き出していて、刻一刻と違った状況に
なりつつあると思っているのです。

この動きの激しい中重要なことは、自分と向き合うこと。これに尽きます。
もちろん、不安なことが多い世の中です。先行きも今まで以上に不透明です。
だからこそ、余計に自分と向き合う時間をとることが大事になってくるのです。

世界情勢や周りがどうであろうとまず動かない確かに自分を構築することが
できれば、自分の人生を歩むことができるのです。
僕がテーマにしている「自分の人生を歩む」とはそのようなものです。

そのために、自分と向き合う時間を取ること。本当の自分とは何かをとことん
見つめること。それが大事であり、辛いことであり、楽しいことなんです。
実際、自分と向き合うと耳障りな考えが浮かび上がってきたりします。
その考えがどこから来たものかを追求することが大事です。

そして、自分と向き合うことに慣れて、本当の自分を見出すことができると
世の中のことも少しだけ見方が変わってきたりします。
なぜかといえば、少しだけ物事を見る枠組みが広くなるからです。
一般的に言えば視野が広がるかんじでしょうか。
テレビをとってもニュースやドラマが有りますが、その見方が変わります。
世の中の仕組みも少しわかります。

物事に必ず、理由が存在することそれがわかるようになるのです。
なぜなら、世の中は人の集まりで構成されているのですから
その中で起こってきている物事には誰かの思惑が入って来ているはずなのです。
それは、決してすぐわかるような近くの人の思惑ではなくもっととてつもなく
遠くの思惑だったりします。
そして、それが自分を生きる上ではそんなに大した問題ではないことも
わかるのです。

ここまで読まれた方は解ると思いますが、自分と向き合う時間を取ることによって
より幸せになれるということなのです。

自分の人生を生きる=幸せな人生を歩む

これが僕が人生に抱く思いなのです。
だから、どれだけ世の中が激しく動こうがあまり関係がなく
自分は心平安にした状態で人生を歩めるのです。

この段階に来たとき次に起こす行動は、自分の人生を歩んでいない人を
サポートすることです。
悩んでいる人落ち込んでいる人は多くいます。
その人たちの助けになれるように行動できるようになるのです。
そばにいるだけ、ちょっと手を出すだけ、そのような慎ましい
サポートができるようにあるのです。
なぜなら、自分というものを見出したなら、人はそれぞれで
自分を見出す必要があることがわかり、その状況から
脱するには自分で行わなければ行けないことがわかるようになるからです。

僕はこれらのことからこれからの人生において時間の使い方がより大事だと思う
に至ったのです。

いかがでしょうか。
少しでも何かの考えの足しに慣れたならうれしいです。

人生を危険に導く言葉

生きていく上で非常に重要な位置を占めているものの一つに言葉が有ります。
どのような言葉を使うかで人生が大きく変わります。
使っている言葉を聞けばその人がどのような考え方をしてどのような人生を歩むか
がわかるとも言われます。
そのように結構重要な言葉ですが、何気なく使っているのではないでしょうか。
今日は、ニュースから感じた普段使いそうな言葉で使うとちょっとやばいかも
って思う言葉についてお伝えしたいと思います。
この言葉は、裏には考え方も引きづっているところがありますから
根本的な部分のお話をできたらと思います。

<目次>
1.言葉の本質
2.良い人生と思えるために
3.まとめ

<内容>
1.言葉の本質
最近言葉について考えさせられることが多々あります。
僕はクリスチャンですから聖書を読みますが、ことばは神であったという一文が
ありますし、聖書では、神様が言葉で世の中を作ったという記述があります。
日本には、言霊というものがあり、言葉に意思が宿るというか言葉の力と
いうものを表現しています。
このようなことから、言葉には力があり、使い方によっては人生を
良くもできるし悪くもできるということが言えると思うのです。
また、自分と関係する人とのコミュニケーションとして使われることから
他の人の人生にも大きく影響を与えるものであることも理解できるのではないでしょうか。

先程も言霊というキーワードを上げましたが、言葉にどのような思いを載せるか
によって使う言葉は変わりますよね。
それによって自体が色々変わるものです。別の言い方してたら状況が変わっていただろう
と思われることもニュースを見ていると有りますよね。

つまり、言葉の使い方によって自分の人生も関わる人の人生も変わることが
予想されます。さて、ここまで考えると言葉を使うということにある程度の
責任が伴うような気がしてきませんか。

2.良い人生と思えるために
さて、ここまで辛抱強く読んでくださりありがとうございます。
タイトルの人生を危険に導く言葉とは、「この状況は〜のせいだ。」という言葉。
よく喧嘩とかでも使われるのではないでしょうか。また、経済的な困窮とか
そういった場合にもよく使われますよね。
こういった言葉の背景には、物事の責任を放棄しているという考え方があります。
つまりは、自分の人生を他の人に委ねている状況にほかならないんです。
この状況は、本当に危険ではないかなぁと思います。
自分も納得言ってないですし、そうであればどんどんストレスが溜まっていくでしょう。
となると体にも異常をきたしてきますよね。

良い人生と思えるためには自分が納得した人生を歩む必要があるのかな
と思うのですがどうでしょうか。
例えば、良い人生を上記のようなものだとすると起こってきた物事を他の人に委ねるのでは
なく、自分の責任として受け止めることだと思います。
そうすることによって自分の人生を自分で制御するという感覚が出てきますし、
その流れで「この状況は〜のせいだ」から脱却し、「この状況を打破するにはどうすればよいか」
という自分への問いかけ→行動になり、結果自分が嫌な状況から抜け出せる道に
つながると思うのです。

3.まとめ
ここで見てきたように言葉には力が有ります。この力はすぐに認識できないかも知れませんが
水が長い時間をかけて石を砕くように、後になってじわじわと効いてくる力だと思います。
もちろん、使い方によってはすぐに結果が出るかも知れません。
このことを理解して自分も自分以外の人も良い人生を送れるような言葉の選び方
言葉の使い方をしたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
あなたの人生が良くなるようにお祈りしております。