言葉からイメージするもの〜人間拡張から成長に至るまで〜

どのような言葉にもそれぞれイメージするものはあると思います。先日イメージを刺激された言葉をニュースで見ましたので、そこからいろいろと考えてみましたので、ここでお話したいと思います。

目次
気になる言葉
物理的なことなのか精神的なことなのか
まとめ

気になる言葉

タイトルにも記述しましたが、人間拡張という言葉をネットで読みました。そのサイトはITmediaでしたので、もちろん、物理的に機械と融合して人間の機能を拡張するということを言われていました。
<参考>
人間拡張(Human Augmentation)を考える
実は、その言葉だけのイメージで考えていたので、機械と融合なんだろうなと思いながら、人間を拡張するのに機械の力が必要なのだろうかと素朴な疑問がわきました。

もちろん、上を目指すのは良いことですから、僕も成長をすることには大賛成です。ただ、どこを目指すかということになると少し考えなければいけない事柄に変わってきます。

物理的なことなのか精神的なことなのか

ちなみに、ここに来て何ですが、前述の記事は読んでませんからここに書かれる内容は完全に僕の個人的な意見として読んでくださいね。

そもそも、人間拡張する必要はどこにあるのかということだと思います。僕は個々人の成長が鍵なのではないかと思うのです。もし、物理的に人間拡張を行い、それによってその人が大きく成長できるのであれば、それは必要だと思いますし、拡張を行うことによって歩けなかった人が歩けることになるのであれば、それはそれで良いことだと思います。

では、成長という観点で見た時に、本当に物理的な人間拡張は必要かと言えばそうではないような気がするのです。成長に限らずですが、自分がある過去の時点から成長したかどうかを知るためには、その比較する時点の状態を把握する必要があります。
そして、これから成長しようとすれば、自分の状態を知ることから始まるのです。その時にもし物理的に困難なことがあり、それを解決すれば自分が大きく成長できるのだと判断すれば、その障害を物理的にでも解決すればよいのです。しかし、多くの場合物理的解決と精神的解決(所謂心の持ちようなど)の2つの選択肢が準備されていると感じるのです。
どちらを選ぶかはその人の生き様に関わってきますから、どちらが正しいわけでもありません。選んだほうが正しい道になっていくと僕は考えています。

過去を振り返って「あのとき別の選択をしていれば」ということは誰にでもあると思いますが、それはそれとして、現在がベストであると思うことがなんとなく次のステップや成長に繋がっていると感じます。

まとめ

このように考えてからふと「人間拡張」から離れていることに気が付きました。
つまり、人間拡張については言えば、アプローチがいろいろあってそのうちの一つが機械を使うことであり、一つのことが自分を見つめることであるということが言えるのではないでしょか。
どちらにも良い点悪い点はあるにしろ、概ねどちらのアプローチも選択を誤らなければ良い方向に進んでいくものであると思います。僕は、最近は精神的な霊的な方向に傾倒していますから、僕の選択はそちらが多くなります。それは僕という1個人の生き様であるので、それはそれでよいと思います。あなたはあなたの生き様でそれぞれの選択場面でいろいろな良いと思える選択をすればよいのです。
その時に気をつけたほうが良いのは、自分のみならず周りの人たちもハッピーな気持ちになるかどうかが判断のポイントの一つになってくるということを覚えておいたほうがよいです。このようなことは、結果としてすぐに出るわけではなくて後々じわじわと効いてきますから、最終的になぜそうなたのかということを思い返したとしてもわからないことが多いものです。

あなたはどのように感じましたか。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

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